レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年07月05日
- 登録日時
- 2021/07/28 17:39
- 更新日時
- 2023/03/22 15:48
- 管理番号
- 2021-021
- 質問
-
解決
戦前から戦後にかけての同志社大学文学部英文学科の教員、教育内容について知りたい。
特に戦時下の同志社大学文学部英文学科の教育内容、教育体制についてうかがえる資料(たとえば英文学科の講義科目、講義概要など)を探している。
戦時下で外国文学を研究することについての学生や教員の当時の声も探している。
- 回答
-
以下の資料をご紹介します。
■『同志社百年史』(同志社, 1979)
同志社大学の教育体制の歴史については、『同志社百年史』をご覧ください。
戦時下の体制の変容については、通史編2の第4部「戦時下の学府」に概要がまとめられています。
また講義科目については当時の学則にてご確認いただけます。戦時下については昭和16年、19年の学則(案を含む)が『同志社百年史』資料編2に掲載されていますのでご参照ください。
■『同志社九十年小史』(同志社, 1965)
第4章大学第3節英文学科(p.349-365)に英文学科の歴史(主な教員や教育内容)が記載されています。
■『LLL』(同志社大學英文學會)
同志社大学英文学科が発行している刊行物として、学科のニュースを掲載している雑誌『LLL』がございます。英文学科の教育内容や学生・教員の意見については、この『LLL』を通覧いただくのがよいかと思います。
戦時下に刊行されたのは、No.1~No.19/20(合併号)(=1936(昭和11)年7月~1942(昭和17)年9月)です。No.19/20でいったん終刊となっているため、1942年9月~1945年のことはこの資料からはわかりません。
講義科目(1937年度・1938年度のみ。担当教員、使用テキストを含む)、卒業論文題目、研究発表要旨、講義科目の変更経緯についての記事、戦時下における英文学研究についての上野先生の小文などが掲載されています。
No.21以降は戦後に刊行されています。戦後の教育内容(講義科目、担当教員なども含む)については、No.21以降もご参照ください。
■『英語青年: the rising generation』(英語青年社、のち研究社)
英文学科の講義科目(1939年度~1944年度)、卒業論文題目などの記事があります。
■『英語研究』(研究社)
同志社大学の授業に関する記事が掲載されています。
■昭和14年(1939年)の「英文学科講義時間表」
上野先生が、第一課程の英作文、第三課程の英文学を担当されていることが記載されています。講義概要については記載がありません。
■『主流』(同志社英文學會)
戦時下の英文学会が発行していた学会誌『主流』には、研究成果(文芸翻訳、論文)が掲載されています。当時の研究内容のご参考までにお知らせいたします。
一部は同志社大学学術リポジトリにて公開されています。下記URLより閲覧が可能です。
同志社大学学術リポジトリ『主流』
https://doshisha.repo.nii.ac.jp/?action=repository_opensearch&index_id=800 [参照 2021-07-19]
資料のご紹介は以上です。
なお、講義概要が記載されたシラバスに類する資料の保管状況は以下の通りです。
・戦前の資料
同志社社史資料センターのほか、学内各所にも問い合わせましたが、シラバスに類する資料について、戦前のものは保管していないとのことでした。
・1948年度以降
講義概要を文学部で保管しております。
・1992年度~2009年度
図書館で冊子体を所蔵しております。
・2004年度~
同志社大学シラバスで検索できます。
https://syllabus.doshisha.ac.jp/index.php [参照 2021-07-29]
詳しくは回答プロセスをご覧ください。
- 回答プロセス
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1.大学史に関する資料
■『同志社百年史』通史編2
・第4部 戦時下の学府>第8章 太平洋戦争下の学園―男子諸学校
p.1172~「大学文学部の改組」
1940年11月27日の理事会で、「大学文学部学則の極めて大幅な改正が決定された」。とあり、改正以前、以降の文学部の組織図あり。
英文学科は、文化学科の一専攻「英文・英語学専攻」と位置付けられた。
・第4部 戦時下の学府>第8章 太平洋戦争下の学園―男子諸学校
p.1191~「大學法文学部の発足」
1944年9月30日の理事会で明示された学則で、法学部・文学部が「法文学部」となった。「英語英文学関係の学科・専攻は完全に学則から消え去り」とある。
■『同志社百年史』資料編2
解説(p.1830)大学学則については大幅に改変された時点のものを選んで収録したとある。
以下の資料に、講義科目と単位、時数の表が含まれる。
・「259 同志社大学学則(昭和16年4月1日改正)」(p.1379~)
文学部文化学科はp.1384~1385。
外国文学に関しては「支那文学」「欧州文学史」「基督教文学」がある。
「258 同志社大学学則(大正9年3月)」と比較することができる。
・「260 文学部学則改正認可申請書(昭和18年7月)」(p.1392~)
・「261 同志社大学学則(昭和19年4月1日改正)」(p.1937~)
・「262 同志社大学学則(案)」(p.1410~)
1944年の学則改正について。講義科目表は「別紙」で省略されている。
→省略されている別紙は同志社社史資料センターに所蔵。「英文」と名の付く学科、専攻はなし。
■『同志社九十年小史』(同志社, 1965)
第4章大学第3節英文学科(p.349-365)
2.同志社英文学会の資料
■『LLL』(同志社大學英文學會)
『LLL』の説明は下記にあり。
・『同志社百年史』通史編2(同志社, 1979)
p.1530「『L・L・L』と『主流』」
「同志社大学英文学会は…研究会報『L・L・L』、研究雑誌『主流』を一九三六年から発刊した。『L・L・L』の名は文学部の襟章Lを三度繰り返したもので…英文学会の動静が巨細となく載せられている。」
全体として、同志社大学英文学科に関する記事のため、教育や研究について参考になる。卒業論文題目、研究発表の要旨等の掲載がある号もあり。
例えば以下のような記事あり。
・No.1(1936年7月)
p.2-3「楡は囁く」
「一課程のことども」「ニ課程の巻」「三課程の感覚」として各学年の講義内容に触れている。
・No.4(1937年6月26日)
p.4「同志社大学英文学科講義科目(1937年度)」
講義名、テキスト、週当たりの時間数、担当教員の記載あり。
p.4-5「学科目制度の改正に就て」
改正の目的や意図の解説。「上野氏が主として立案されたもの」ともある。
・No.7(昭和13年5月)
p.4「同志社大学英文学科講義科目(1938)」
講義名、テキスト、時間数?(学期)、担当教員の記載あり。
・No.11(昭和14年10月?)
p.11 瀧山徳三「二つのこと 特殊講義と就職好況」
「高橋源次」先生が「去る四月から」特殊講義「ゴウルズワージーとその作の背景」を行っているなどとあり。
・No.12
p.1 上野直蔵「一提案 アインシュタイン的に」(昭和14年10月30日)
英文学(外国文学)を日本的な立場から研究せよとの要請についての文章。
・No.13
p.1 園頼三「英文学科学科目改正」
科目改正案。課目表あり。
・No.15
p.1-2 園頼三「学科改正案の経過報告」
No.13の案については文部省の許可が下りなかった、と経緯について書かれている。
・No.17
p.1 園頼三「専攻制の拡充」
「英文学科」がなくなり「文化学科」内の英語英文学専攻、文芸学専攻となったことについての説明。
p.2 瀧山徳三「近況」
英語英文学専攻、文芸学専攻について、教員名などをあげている。
「加藤龍太郎氏が特殊講義を担当し「コウルリッヂ」を中心として蘊蓄ある学殖を後進のために講ぜられるのは学生諸君の仕合せ」
・No.19・20(昭和17年9月10日発行)
p.1 上野直蔵「終刊の辞」
■『主流』
講義概要やシラバスの掲載はない。参考まで。
同志社英文学会の学会誌のため、英語、英文学について、文芸翻訳、研究文献の掲載がある。
創刊当初は創作、翻訳も掲載があるが、第6号より研究文献のみとなる(第7号編集後記「今後「主流」は純学術研究の発表機関として、その使命を果すことになった。之は時局柄、用紙の制限等の関係もあって、既に前号より、創作欄を廃止するに至ったのである」)
3.雑誌記事
国立国会図書館デジタルコレクションで「同志社 英文」を検索。
講義科目などに関する記事がヒット。前後の号も確認し、以下の記事が見つかる。
■『英語青年: the rising generation』(英語青年社、のち研究社)
1939年~1948年の号について目次を確認。
下記記事に科目名、一週あたりの時間、担当教員の記載がある。
一部にテキストの記載もある。
・「各大学英文科講義科目」81(8), p.254, 1939年7月
・「各大学英文科講義科目」83(8), p.254, 1940年7月
・「各大学英文科講義題目」85(9), p.286, 1941年8月
・「同志社大学英文科講義題目」87(6), p.190, 1942年6月
・「同志社大学英文科講義題目」88(8), p.255, 1943年1月
・「同志社大学講義題目」90(4), p.96, 1944年4月
・「同志社大学英文科講義題目」92(12), p.383, 1946年12月
・「同志社大学英文科講義題目」93(8), p.287, 1947年9月
・「同志社大学英文科講義科目」94(8)p.254, 1948年8月
以下の記事に同志社大学の卒業論文題目の掲載がある。
・「各大学英文学科卒業論文題目」81(1), p.31, 1939年4月
・「各大学英文科卒業論文題目」83(2), p.63, 1940年4月
・「各大学英文科卒業論文題目」85(3), p.95, 1941年5月
・「各大学英文科卒業論文題目」86(11), p.351, 1942年3月
・「各大学英文科卒業論文題目」88(2)p.64, 1942年10月
・「各大学英文科卒業論文題目」89(11), p.259, 1943年11月
以下の記事に英文学科についての情報がある。
・T.M.「同志社大学英文学研究室だより」82(1), p.92, 1939年11月
英文学科・英文学研究室についての記事。
・「同志社大学英文学科近況(片々録)」93(8), p.286, 1947年9月
教員体制についての数行の記事。
・「同志社大学英文学科近況(片々録)」p.222, 1948年7月
新制大学になってからの履修科目数と講演について簡単に記載。(同志社大学英文学科研究室報)とあるので、「LLL」の記事を要約したものとも考えられる。
■『英語研究』(研究社)
・L.L.L.「学窓通信(同志社大学英文科)」31(9)p.51, 1938年12月
教授名と担当講義について。
・針多京子「英文科通信(同志社大学)」34(10)p.82-83, 1942年1月
「今年度」の3課程・2課程の教授名と担当講義について。
4.学内各所に問い合わせ
(1)同志社社史資料センター
以下のような回答があった。
昭和14年の「英文学科授業時間表」を所蔵。上野氏が第一課程の英作文、第三課程の英文学を担当されているのはわかるが、講義内容(シラバス)については見つからなかった。
昭和15年~20年についても該当するような資料は見つからなかった。
(2)文学部
新制大学(1948(昭和23)年以降)の履修要項、講義概要は保管している。
それ以前のものは保管していないと思われる。
(3)学事課
該当の年代の履修要項、講義概要は保管していない。
- 事前調査事項
- NDC
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- 大学.高等.専門教育.学術行政 (377 10版)
- 英米文学 (930 10版)
- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
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同志社社史史料編集所 [編] , 同志社社史史料編集所. 同志社百年史 通史編. 同志社, 1979.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001449979-00 (NCID:BN01577053) -
同志社社史史料編集所 [編] , 同志社社史史料編集所. 同志社百年史 資料編. 同志社, 1979.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001462952-00 (NCID:BN01577053) -
同志社々史々料編集所 編 , 同志社. 同志社九十年小史. 同志社, 1965.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001077367-00 (NCID:BN08899502) - LLL. 同志社大學英文學會. (NCID:AA12784297)
- 英語青年: the rising generation. 英語青年社. (NCID:AN00269397)
- 英語研究. [英語研究社]. (NCID:AN00269433)
- 英文学科講義時間表. 1939年. (同志社社史資料センターに所蔵)
- 主流. 同志社英文學會. (NCID:AN00113004)
-
同志社社史史料編集所 [編] , 同志社社史史料編集所. 同志社百年史 通史編. 同志社, 1979.
- キーワード
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- 同志社大学文学部英文学科
- 英文学
- 外国文学
- 日中戦争 (1937-1945)
- 太平洋戦争 (1941-1945)
- 講義科目
- 教育体制
- 英語
- 同志社
- 照会先
-
- 同志社社史資料センター
- 同志社大学文学部・文学研究科事務室
- 同志社大学学事課
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 同志社
- 質問者区分
- 学外者
- 登録番号
- 1000302305