レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/03/31
- 登録日時
- 2024/07/17 16:37
- 更新日時
- 2025/02/28 16:40
- 管理番号
- 2024-026
- 質問
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解決
仙台出身の黒川玉(くろかわたま)について、出自など詳しく知りたい。
- 回答
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黒川玉は、デイリー・テレグラフ編集長で英国人名士のエドウィン・アーノルドと結婚し、イギリスに渡り、日本人初の英国貴族となった人物である。
結婚証明書によると、1869 年11 月21 日仙台で生まれ、父の名はモウキチ(あるいはモキチ)、結婚の立会人には、のちに首相となる加藤高明夫妻の名前があったという。『青年小泉信三の日記』には「夫人の前身はつまびらかではない。紅葉館の女中だと云うものもあるし大工の娘だったのをアーノルドが見染めて連れて来たのだともいう」とあるが、出自について明言している記述を確認することはできなかった。
しかし、二人の結婚は当時の英米メディアに広く紹介され、玉の美貌と知性、ファッションセンスは上流社会で大きな話題となったことや、ロンドンに滞在した夏目漱石や南方熊楠等日本人を援助したことについての記述が多数確認できた。
夫エドウィン・アーノルドの死後は社交界のパーティーに顔を出すことも少なく、自分のことを語ることもなく、1962 年ロンドンでひっそりと92 歳の生涯を閉じた。
※紅葉館とは、東京都港区芝にあった純和風の会員制高級料亭のこと。鹿鳴館に代わって国際交流の場としての役割を担った。
- 回答プロセス
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「黒川玉」「エドウィン・アーノルド」をキーワードにインターネットで検索したところ、「黒川タマ」「レディーアーノルド」「アーノルド未亡人」「エドウヰン・アーノルド」「サー・エドキン・アーノルド」など、様々な表記があり、国立国会図書館デジタルコレクションでそれらをキーワードにして検索し、記述を確認した。また、雑誌『英国生活ミスター・パートナー』№374にも黒川玉の生涯について紹介されていたことがわかった。さらに、父である「クロカワ モウキチ/モキチ」を『仙臺人名大辞書』『宮城県姓氏家系大辞典』『仙台城下絵図の研究』などで調査したが記述はなく、紅葉館に関する資料を調査したが、黒川玉、エドウィン・アーノルドに関する記述を確認できなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 政治.経済.社会.文化事情 (302)
- 詩 (931)
- 参考資料
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小泉信三 著. 青年小泉信三の日記 : 明治四十四年-大正三年 : 東京-ロンドンーベルリン. 慶應義塾大学出版会, 2001.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003039563 , ISBN 4-7664-0865-9 - 『英国生活 ミスター・パートナー』第374号
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出口保夫, アンドリュー・ワット 編著. 漱石のロンドン風景. 研究社出版, 1985.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001763467 , ISBN 4-327-37708-2 - 「産経新聞」1999 年9月20 日付朝刊25 面
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小泉信三 著. 青年小泉信三の日記 : 明治四十四年-大正三年 : 東京-ロンドンーベルリン. 慶應義塾大学出版会, 2001.
- キーワード
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- 黒川玉
- エドウィン・アーノルド
- 黒 川タマ
- レディーアーノルド
- アーノルド未亡人
- エドウヰン・アーノルド
- サー・エドキ ン・アーノルド
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000353342