レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2023/12/14 13:11
- 更新日時
- 2024/01/17 15:16
- 管理番号
- 北九2023八幡18一般
- 質問
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解決
八幡東区東田に保存されている溶鉱炉の高さはどのくらいですか?
- 回答
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現在保存されている高炉の高さは「70m(70.5m)」だと思われます。資料によっては「30m」と書かれているものもありましたが、詳しく調べた所、操業を開始した当時の高炉の高さは「30m」でしたが、改修が繰り返されて最終的に現在の高さ70m(70.5m)になったようです。
- 回答プロセス
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「八幡製鉄所」で使用されていた高炉の高さということで、まず八幡製鉄所関連の資料を確認しましたが、高さについては記載がありませんでした。
そのため、インターネットで「東田第一高炉」を調べた所、「東田ミュージアムパーク」ホームページの「東田第一高炉史跡広場」のページに、「1901(明治34)年、この地で操業を開始した東田第一高炉は、高さ30m」との記載がありました。その他、東田第一高炉が北九州市の史跡として文化財に指定されていることから、北九州市の「史跡」や「近代化遺産」などの資料を確認した所、高さが載っている資料がいくつか見つかりました。しかし、『DOBOKU』や『近代化遺産ろまん紀行 西日本編』などによれば「高さ70.5m」との記載があり、『福岡の教科書』には「明治34年創業時の東田第一高炉は高さ30m」と書かれていました。この時点で、「30m」と「70.5m」という2つの記載が見つかりどちらが正解かが判断できなかったので、さらに複数の資料を確認すると、『北九州市郷土史跡ガイドブック』に、「現在そびえ立つ東田第一高炉は数度の改修を行いながら1962年の最後の改修により、それまでの高炉の高さ30メートルに対し70メートルの新鋭炉となりました。」とあり、改修が行われて操業当時の高炉の高さと現在保存されている高炉の高さが違うことがわかりました。その他、『北九州の近代化遺産』の「東田第一高炉の変遷」という項目に、高炉の全ての改修が行われた時点での高さが書かれており、第一次改修後から第九次改修後までの高さは「30m」で最後の改修である第十次改修後の高さが「70m」となっていました。質問は「現在保存されている溶鉱炉の高さ」ということだったので、「70m(70.5m)」という回答になりました。
- 事前調査事項
- NDC
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- 芸術政策.文化財 (709)
- 鉄鋼 (564)
- 建設工学.土木工学 (510)
- 参考資料
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- 『福岡の教科書(大人のための地元再発見シリーズ)』JTBパブリッシング,2022年,P.93 , ISBN 9784533151194 (当館請求記号 291.9/フ, 当館資料番号 0313070666)
- 『DOBOKU-どぼく- 思わず行ってみたくなる130選』北九州市建設局総務部事業調整課/編集,北九州市建設局総務部事業調整課,2013年,P.71 (当館請求記号 K510.110/キ, 当館資料番号 0312596083)
- 『近代化遺産ろまん紀行 西日本編』読売新聞文化部/文,玉木雄介/撮影,中央公論新社,2003年,P.262 , ISBN 9784120034305 (当館請求記号 602.1/タ, 当館資料番号 0311899546)
- 『北九州の近代化遺産』北九州地域史研究会/編,弦書房,2006年,P.232 , ISBN 9784902116717 (当館請求記号 602.1/キ/, 当館資料番号 0312179823)
- 『北九州市郷土史跡ガイドブック』北九州市郷土史跡ガイドブック製作委員会/編集,北九州市郷土史跡ガイドブック製作委員会,2013年,P.111 (当館請求記号 K292.110/キ, 当館資料番号 1610461707)
- 『北九州市史跡ガイドブック』北九州市教育委員会/編集,北九州市教育委員会,2009年,P.127 (当館請求記号 K292.110/キ, 当館資料番号 0312620552)
- 北九州市東田ミュージアムパーク https://higashida-museumpark.jp/facility/higashidakouro.html
- キーワード
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- 東田第一高炉
- 溶鉱炉
- 北九州市の史跡
- 北九州市の文化財
- 八幡製鉄所
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000343434