レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/09/14
- 登録日時
- 2021/11/02 00:30
- 更新日時
- 2021/11/12 11:42
- 管理番号
- 秋田-2652
- 質問
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解決
旧秋田県立美術館、平野政吉美術館(現:秋田市文化創造館)の屋根の建築についての資料はあるか。
- 回答
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以下の資料を案内。
①『あきた 56号〜67号』(秋田県広報協会/編、秋田県広報協会、1967.1、A051/48/1967)資料番号:110709334
②『私の履歴書 平野政吉』(週刊アキタ、1979.4~1979.8、A289/721/)資料番号: 112005566
③『秋田県立美術館 美術館・博物館めぐり』(加賀谷辰雄/著、A706/12/)資料番号:111582201
④『写真 すてきなたてもの 秋田市文化創造館』(アーツセンターあきた/企画、秋田市、2021.3、379/アシ/1郷)資料番号:147072672
- 回答プロセス
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1.秋田県立図書館デジタルアーカイブにて「秋田県立美術館」「平野政吉美術館」をキーワード検索。
下記の資料が該当。
①『あきた 56号〜67号』(秋田県広報協会/編、秋田県広報協会、1967.1、A051/48/1967)資料番号:110709334
→昭和42年10月1日発行 第6巻10号(通巻65号)10月号
p.60-61 施設めぐり 秋田県立美術館 財団法人平野政吉美術館
p.60 「高さ二十三メートルの”日本宮殿式流れ型”の屋根は双曲線をえがく典雅な様式に近代的な感覚をとり入れたもので、お堀の水に映えて道行く人々の目をひいているのである」と記載あり
屋根 外観の白黒写真あり
②『私の履歴書 平野政吉』(週刊アキタ、1979.4~1979.8、A289/721/)資料番号:112005566
→私の履歴書⑰
記事名:「昭和41年平野美術館の工事に入る 藤田画伯と私のアイデア採用」
→「宮殿造り、ギリシャ式柱廊を折哀したのは、館内の採光を考えた藤田画伯とわたしのアイデアだった。」と記載あり
2.所蔵資料検索にて「秋田県立美術館」をキーワード検索。
下記資料が該当。
③『秋田県立美術館 美術館・博物館めぐり』(加賀谷辰雄/著、A706/12/)資料番号:111582201
→月刊文化財 昭和45年3月 巻号通巻78 p.34-35
p.34「現代の公共施設のスタイルを破った日本宮殿流れ屋根式と称される伝統的形式に、近代的感覚を加味した独特な形式である。(省略)設計は日建工務株式会社が担当し、工事には竹中工務店があたった。」と記載あり
3.所蔵資料検索にて「平野政吉美術館」とキーワード検索。
下記の資料を調査したが記載なし。
×『財団法人平野政吉美術館設立趣意書 他』(平野政吉美術館、A706/3/)資料番号:111581666
4.所蔵資料検索にて「秋田市文化創造館」をキーワード検索。
下記資料が該当。
④『写真 すてきなたてもの 秋田市文化創造館』(アーツセンターあきた/企画、秋田市、2021.3)資料番号:147072672
→屋根のカラー写真あり
『藤田嗣治ー秋田の地への「遺産」と「気配」 林 洋子』にて
「この旧館建築は、日本風の屋根とも評されるようだが、わたしにはかなり西欧風に思える。藤田は《秋田の行事》がそこで公開される前提に、いくつか提案したという」と記載あり
- 事前調査事項
- NDC
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- 社会科学 (3)
- 芸術 (7)
- 技術 (5)
- 参考資料
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- あきた56号〜67号秋田県広報協会/編秋田県広報協会
- 私の履歴書 平野政吉週刊アキタ
- 秋田県立美術館 美術館・博物館めぐり加賀谷辰雄/著
- 写真 すてきなたてものアーツセンターあきた/企画秋田市
- キーワード
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- 旧秋田県立美術館(キュウアキタケンリツビジュツカン)
- 平野政吉美術館(ヒラノマサキチビジュツカン)
- 秋田市文化創造館(アキタシブンカソウゾウカン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000306810