レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年02月15日
- 登録日時
- 2019/03/22 16:04
- 更新日時
- 2019/04/02 16:31
- 管理番号
- 横浜市中央2549
- 質問
-
未解決
昭和初期、横浜市瀬谷区の二ツ橋付近にあったという、牡丹園について記された資料を探している。
- 回答
-
神中鉄道(現在の相模鉄道)の厚木~横浜間開業直後の昭和9(1934)年ころ、現在の相鉄本線瀬谷駅と三ツ境駅の間にあった二ツ橋駅の北側に「牡丹園」があったようですが、園の規模や設置者、開園閉園の時期など詳しいことは確認できません。
次に「牡丹園」について記載のある資料をご紹介します。
(回答中記載のURLについては、平成31年2月1日アクセス確認済み。)
1 牡丹園の記載のある資料(一次資料)
(1)『神中線御案内』
神中鉄道株式会社/編 神中鉄道 〔出版年不明〕(以下「沿線案内A」という)
一枚ものを折りたたんだ沿線案内。表面の沿線案内図中、二ツ橋駅と三ツ境駅の
間の北方に「牡丹園」の記述(文字のみ)があります。裏面の「沿線案内記」には
牡丹園紹介の記述はありません。出版年不明ですが、昭和8(1933)年12月の神中
鉄道の横浜駅乗り入れ、昭和9(1934)年8月の古川電線駅開業の後、昭和16(1941)
年11月の中新田口乗降場廃止以前に発行されたものと思われます。
所蔵:横浜市中央図書館、神奈川県立図書館
(2)『神中鉄道沿線案内』神中鉄道/編 神中鉄道 〔出版年不明〕
(以下「沿線案内B」という)
一枚ものの沿線案内。沿線案内図中、二ツ橋駅の北方に丸く囲まれた「牡丹園」の記述が
あります。出版年不明ですが、上掲「沿線案内A」より以前、昭和8(1933)年12月の神中
鉄道の横浜駅乗り入れの後、昭和9(1941)年8月の古川電線駅開業までの間、昭和9年前半
の発行と思われます。(※発行時期の推定は下掲資料『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み
関東3』による。)
所蔵:横浜都市発展記念館、川崎市立中原図書館
(3)『郊外散策と日帰り旅行』神中鉄道 〔出版年不明〕(以下「沿線案内C」という)
『図説鉄道パノラマ地図 〈沿線案内〉にみる美しき日本(ふくろうの本)』
(石黒三郎/編 河出書房新社 2010.4)p.53に紹介されている、一枚ものを折りたたんだ
沿線観光案内。沿線案内図中、二ツ橋駅と三ツ境駅の北方に丸く囲まれた「牡丹園」の
記述が見られます。出版年不明ですが、神中鉄道が平沼橋駅には乗り入れている(乗り入れ
は昭和6(1931)年10月)が横浜駅までは達していない(横浜駅乗り入れは昭和8(1933)年
12月)ことから、その間、「沿線案内A・B」より早い、昭和7(1932)年ごろの発行と推定
されます。
所蔵:明示されていませんが、掲載書の編者所蔵と思われます。
2 牡丹園の記載のある資料(「沿線案内B」を紹介するもの)
(1)「ハマ発Newsletter第6号」横浜都市発展記念館 2006.5
p.6「コラム-常設展示より-神中鉄道沿線案内(斎藤多喜夫)」記事掲載の図版
(「沿線案内B」)中、三ツ境駅の北方に「牡丹園」が見える。本文中では、神中鉄道
株式会社が開催する瀬谷の芋掘会や、瀬谷駅の北方の東野(あずまの)を中心とした
初茸狩が盛況であったことに触れたのち、「図に見える「道楽園」「牡丹園」「乳出ノ清水」
などはどうなってしまったのだろうか。」と記し、「この地域に行楽地を作ろうとした神中
鉄道の夢は、深まる戦時色のなかで、かき消されてしまったのだろうか。」と結んでいます。
(※「乳出ノ清水」については、本誌次号で地域に「乳出神」の碑があることを紹介。)
・Webで見られます。次のURL参照。
→http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/hamaN/hamaN6.html
(2)『「地図」で探る横浜の鉄道 都市横浜歴史ビジュアル』
横浜都市発展記念館/編 横浜都市発展記念館 2011.3
p.102-103「神中鉄道の「郊外電車」化」の項で、横浜乗り入れの昭和8(1933)年
以降、神中鉄道の郊外電車化が進んでいくと解説。「沿線案内B」の図版を「「沿線案内
(神中鉄道)」(昭和8(1933)年頃)」として掲載しています。
(3)『伸びる鉄道、広がる道路 横浜をめぐる交通網』
横浜都市発展記念館/編 横浜市ふるさと歴史財団 2018.4
p.49「図版3-10 沿線案内神中鉄道」(「沿線案内B」)を掲載。
(4)『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み 関東3 京成・京急・相鉄』
今尾恵介/著 白水社 2015.8
p.302-307「案内絵図に描かれた沿線の名所」の項で、「沿線案内B」の刊行時期を
昭和9(1934)年前半と推定。昭和4(1929)年の世界恐慌により経済が冷え込む中で
神中鉄道の経営も減益となり、延伸を続けて横浜駅への乗り入れを達成した後、増収増
益を図るため、名所や行事を前面に沿線のPRに力を入れていく様子を紹介しています。
瀬谷の芋堀会や初茸狩については触れていますが、「牡丹園」の紹介はありません。
白黒ですが「沿線案内B」の図版を掲載し、キャプションを「図5 陣中鉄道が刊行した
「沿線案内」。昭和9年発行と思われる。」としています。
3 その他、神中鉄道の沿線案内(昭和初期のもの)
(1)『神中鉄道案内』神中鉄道株式会社 1927.9
神中鉄道が横浜駅に乗り入れる(昭和8(1933)年)以前の沿線案内。案内図、名所
案内本文ともに「牡丹園」の記述はありません。
所蔵:横浜市中央図書館
このほか、所蔵する相模鉄道株式会社社史、昭和初期の鉄道地図や園芸関連会社の名簿、
電話帳、横浜市各区史・地誌等を確認しましたが、「牡丹園」の記述は確認できませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 植物学 (470 8版)
- 造園 (629 8版)
- 日本 (291 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000253546