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レファレンス事例詳細

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事例作成日
2020年06月25日
登録日時
2026/04/03 10:44
更新日時
2026/05/15 09:22
提供館
遠野市立図書館 (2310127)
管理番号
遠野-2020-02
質問

解決

遠野遺産「砥森山」(ともりやま)について頂上に坂上田村麻呂が剣を立てて、そこにお宮、祠を立てて、そのお宮を守ったことから「宮守」という地名の由来となったことはわかった。宮守村の由来となった、お宮、祠はどこの神社のことか。
回答
『ふるさと粡町』( 新町自治振興会 2008)によると宮守村の由来となった神社は、「砥森神社」のことだと思われる。
回答プロセス
<所蔵資料からの調査>
 坂上田村麻呂と関係する神社として、『ふるさと粡町』( 新町自治振興会 2008)p79~p83の「砥森神社」の縁起の中に書かれている。
『ふるさと粡町』p80より
「砥森山頂上に、六坪位の平地がありますが、そこが、砥森神社の元大宮の所在地であったとか、坂上田村麻呂将軍が陣を敷いた跡とも伝えられています。ここは、今もなお大木が立茂って、当時を追想する事が出来ます。そして、三か村の砥森神社は、ここから分かれたものだといわれています。延暦年間(七八二~八〇五)になって、坂上田村麻呂将軍が、陸奥の国府胆沢城からこの地に東征に来た時、この地方の蝦夷の様子を知るために、山上から四方を展望したという伝説があります。そのとき、頂上で勝利の願いを込めて、明神の祠(ほこら)を建てて祀ったのが、砥森神社の始まりだと言い伝えられています。」

また『ふるさと粡町』P81に砥森神社が四回の移動を経て現在地に建立されていることが書かれている。
『ふるさと粡町』P81より
「明治維新後に、「砥森神社」と改め、日本武尊を祀りました(その前は、白鹿明神社か)。当村の砥森神社の今の社殿は第四回目の移動で、初めは東砥森山上に在りましたが、大同年間になって現在の拝殿の下に建立し、また、さらに四本松の間に移しましたが、明治に入ってから西側の社殿を建立しました。その後、大正四年(一九一五)に、岩手軽便鉄道が開通してから、社殿が余りにも線路の側になったので、さらに移転して現在地に建立しています。」
事前調査事項
NDC
  • 伝説.民話[昔話] (388 8版)
  • 東北地方 (212 8版)
  • 日本 (291 8版)
参考資料
  • ふるさと粡町 : 地域誌. 新町自治振興会, 2008.
    https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009356364
  • 上閉伊「遠野・釜石・大槌」神社誌. 岩手県神社庁上閉伊支部, 2021.
    https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I031948702
キーワード
  • 遠野市宮守町 -- 歴史
  • 砥森山
  • 神社 -- 遠野市宮守町
  • 坂上, 田村麿, 757-810
照会先
寄与者
備考
2026年5月追記
『上閉伊「遠野・釜石・大槌」神社誌』p73に砥森神社の由緒に書かれている内容によると、砥森神社は天明三年(1783)に建立されたことが書かれている。
上閉伊「遠野・釜石・大槌」神社誌p73より
「大正二年(一九一三)に発刊された『上閉伊郡誌』に「下宮守笠平なる砥森山の麓に在り、砥森山は往昔征夷の進軍この地方に及びし時、山上より征夷の巣窟瞰望したる史蹟にかかるという傳説を有するに因み頂上に古く明神の叢祠を建てたるを其の濫觴とし、明治維新後、砥森神社と改め日本武尊を祀る。」と記されているが、詳しい創建年代は不明であった。平成三十年(二〇一八)個人宅邸内社から、砥森神社の棟札が発見され、由緒の一端が判明した。 当社本地大日如来 奉造建天満大自在砥森山大権現 天明三年癸卯四月八日別当熊谷四郎兵衛 と「天明三年(一七八三)」に建立された事が明らかになった。現在五輪塔の有る場所に社殿が有ったが、直ぐ側に軽便鉄道が開通した事から、氏子達は排煙からの火災を心配して、現在地に移転した。」
調査種別
事実調査
内容種別
郷土
質問者区分
社会人
登録番号
1000382781
転記用URL
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000382781 コピーしました。
アクセス数 285
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