レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年09月16日
- 登録日時
- 2023/03/18 10:22
- 更新日時
- 2023/03/18 10:23
- 管理番号
- 千県中参考-2022-07
- 質問
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解決
太平洋戦争の終戦(1945年)以降に、中国上海から日本人が引き揚げて来た時の出国の規制や条件を知りたい。
- 回答
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次の資料に関連の記載がありました。
【資料1】~【資料5】は、県立図書館で所蔵しています。
【資料6】【資料7】は、インターネットで公開されています。
【資料1】『上海に生きた日本人 幕末から敗戦まで』(陳祖恩著 大修館書店 2010)
p322-354「第17章一九四五年-日本敗戦後の大送還」内p346-347に、「当時、国民政府は中国における日本資産が流出するのを防ぐために、帰国する日本人居留民の携行品に対して厳しい制限を加えた。現金の携行は1000円(略)」等、携行が許される物品と許されない物品が列挙されています。
【資料2】『第二次世界大戦の遺産 アメリカ合衆国』(杉田米行編 大学教育出版 2015)
p39-57「上海の日本租界に生きた引揚者」
p51「引揚者と戦後の生活」の項目に、「帰国時には、貴金属・文書・写真の持ち帰りは禁止されていて、所持金は1人につき千円以内、手荷物も制限された。」と記載されています。
【資料3】高綱博文「上海日本人引揚者たちのノスタルジー―「わが故郷・上海」の誕生―」(『近代中国研究彙報』第24号 2002)p1-29
p8「上海在留日本人の全財産は中国国民政府により接収され、金1千円、衣類30キロ、夜具上下二段、食器台所用具、手廻り品は持てるだけ。これ以外は何物も携帯することを禁じられ、家族の写真アルバムすらも日本に持ち帰ることはできなかった」と記載されています。
【資料4】『花甲録』(内山完造著 岩波書店 1961)
p312に上海からの帰国者の携帯荷物の規制についての記載があります。
【資料5】『平和の礎 11 海外引揚者が語り継ぐ労苦』(平和祈念事業特別基金編集 平和祈念事業特別基金 2001)
p338-355「上海からの引揚げ記録」
p346に「私たち引揚者は、一人当たりリュックサック一つと、それ以外にはごくわずかな携行荷物だけを持ち帰ることが許されていた。記録文書や写真類はすべて没収されるという噂も流れていた」と記載されています。
【資料6】佐藤量「戦後中国における日本人の引揚げと遣送」(『立命館言語文化研究』 25巻1号 2013)
p155-171
(http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_25-1/RitsIILCS_25.1pp.155-171SATO.pdf)
p161-162「中国の役割」の項目に、上海会議で決定された携行品の制限(荷物の重量、許可された物品、現金の額、携帯が禁止・制限された物品)について記載されています。
【資料7】陳祖恩「上海日本人居留民戦後送還政策の実情」(『北東アジア研究』第10号 2006)
p25-43
(https://hamada.u-shimane.ac.jp/research/organization/near/41kenkyu/kenkyu10.data/10-03_chen.pdf)
p40に「当時、送還を待つ日本人居留民が携帯した物品は厳格なコントロール下にあった。」と所持金額や荷物重量等の規制について記載があり、携帯を許可する物品、携帯不許可物品が列挙されています。
(インターネット最終アクセス:2022年12月14日)
- 回答プロセス
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1 千葉県立図書館ホームページ「図書・雑誌・視聴覚資料検索」を件名「引揚者」で検索
ヒットした次の資料を確認
『海外引揚の研究 忘却された「大日本帝国」』(加藤聖文著 岩波書店 2020)
p12-13「上海に限定されるが中国本土からの日本人引揚を分析した唯一の研究である」と次の資料を紹介している。
『上海日本人居留民社会の形成と展開 日本資本の進出と経済団体』(山村睦夫著 大月書店 2019)
p475「中国関内とりわけ上海からの引揚げは、多くの引揚者たちに過酷な運命を強いた中国東北や朝鮮、ソ連等の地域に比較して困難が少なかったとされてきたこともあり、それらの全般的検討はようやく始まったところである。」と記載があるが、規制や制限に関する記載は見つからなかった。
p499の注より、【資料7】を発見。
【資料7】の出典に、次の資料が記載されていたが、県内で所蔵がないため未確認。
『中国戰区中国陸軍総司令部処理日本投降文件彙編 下巻』(中国陸軍総司令部編 [中国陸軍総司令部] 1945)
篠原匡文「敗戦直後の上海居留民の動静」(『季刊中国』第43期1998年6月)p54-62
2 日本十進分類法369.36「引揚者保護」や周辺の書架を探索
確認した次の資料には、関連の記載があったが、上海に関する記載は見つからなかった。
『引揚げと援護三十年の歩み』(厚生省援護局編集 ぎょうせい 1978)
p525-「引揚に関する基本指令」
p532「附属第六 通貨、有価証券、其の他書類及所持品」に持込が許可されているものについて列挙されている。
3 千葉県立図書館ホームページ「図書・雑誌・視聴覚資料検索」を全項目「引揚者」&「上海」で検索
【資料2】を発見。
4 千葉県立図書館ホームページ「図書・雑誌・視聴覚資料検索」を件名「上海」&「歴史」で検索
【資料1】を発見。
5 千葉県立図書館ホームページ「図書・雑誌・視聴覚資料検索」を全項目「中国残留」&「歴史」で検索
確認した次の資料には、関連の記載があったが、上海に関する記載は見つからなかった。
『中国帰国者をめぐる包摂と排除の歴史社会学』(南誠著 明石書店 2016)
6 国立国会図書館オンラインをキーワード「引揚者」&「上海」で検索
【資料3】を発見。【資料3】の出典より【資料4】を発見。
7 Google Booksをキーワード「引揚者」&「上海」で検索
【資料5】を発見。
8 Google Booksをキーワード「引揚者」&「携行品」で検索
ヒットした次の資料を確認したが、上海からの引揚者に関連する記載はあったものの、規制や条件についての記載は見つからなかった。
『富山県終戦処理史』(富山県厚生部社会福祉課編集 富山県 1975)p292
次の資料には、携行品に関する記載はあったものの、上海に関する記載は見つからなかった。
『「帝国」と植民地 「大日本帝国」崩壊六〇年 年報・日本現代史 第10号(2005)』(「年報日本現代史」編集委員会編 現代史料出版 2005)
p133「「引揚者の国内持込資金の件」として(GHQ覚書)、日銀券、鮮銀券、台銀券、満州中銀券で一人当り持帰り金は一般邦人、軍属1000円、軍人のうち将校500円、下士官以下200円の制限付交換を決定する」と記載がある。
9 CiNii Researchを「中国 引揚」で検索
【資料6】を発見。
- 事前調査事項
- NDC
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- 社会福祉 (369 9版)
- 人口.土地.資源 (334 9版)
- 中国 (222 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『上海に生きた日本人 幕末から敗戦まで』(陳祖恩著 大修館書店 2010)(2102348070)
- 【資料2】『第二次世界大戦の遺産 アメリカ合衆国』(杉田米行編 大学教育出版 2015)(2102722487)
- 【資料3】高綱博文「上海日本人引揚者たちのノスタルジー―「わが故郷・上海」の誕生―」(『近代中国研究彙報』 第24号 2002)p1-29(2500693144)
- 【資料4】『花甲録』(内山完造著 岩波書店 1961)(9102146193)
- 【資料5】『平和の礎 11 海外引揚者が語り継ぐ労苦』(平和祈念事業特別基金編集 平和祈念事業特別基金 2001)(0105617768)
- 【資料6】佐藤量「戦後中国における日本人の引揚げと遣送」(『立命館言語文化研究』 25巻1号 2013) p155-171(http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_25-1/RitsIILCS_25.1pp.155-171SATO.pdf)
- 【資料7】陳祖恩「上海日本人居留民戦後送還政策の実情」(『北東アジア研究』第10号 2006)p25-43(https://hamada.u-shimane.ac.jp/research/organization/near/41kenkyu/kenkyu10.data/10-03_chen.pdf)
- キーワード
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- 引揚者(ヒキアゲシャ)
- 上海-歴史(シャンハイ レキシ)
- 太平洋戦争(タイヘイヨウセンソウ)
- 日本人(中国残留)-歴史(ニホンジン チュウゴクザンリュウ レキシ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000330685