レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年12月17日
- 登録日時
- 2014/01/29 10:42
- 更新日時
- 2021/01/26 14:24
- 管理番号
- 9000010492
- 質問
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解決
アメリカのフォーチュンクッキーは、山梨県出身の萩原眞(はぎわらまこと)が「辻占煎餅(つじうらせんべい)」を売ったのが始まりだという説がある。この、萩原眞という人物について知りたい。
- 回答
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『在米甲州人奮闘五十年史』(広瀬守令著 南加山梨海外協会 1934年)によると、萩原眞は、安政4(1857)年東山梨郡平等村の農業の傍ら製糸業を営む家に生まれる。15歳の時に父祖の業を継ぐが、明治12年にサンフランシスコに渡り(『山梨百科事典』には明治21年とある)、明治21(1888)年夏、サンフランシスコ支那町の一角サクラメント街に日本料理店「大和屋」を開業した。これは、在米日本人の料理屋の元祖である。一時帰国して後、再びサンフランシスコに渡り、対岸のオークランドに料理屋を開いたが失敗。シカゴ市に開設された世界万国博覧会に日本から出店した喫茶店の保管法を依頼されたことから、博覧会終了後に喫茶店の幾部分かがサンフランシスコに移された。ゴールデンゲートパーク内で開かれたミッド・ウインタース博覧会の際に喫茶店の出店が許可され、博覧会終了後も公園課の希望により存続することになった。大正14年9月死去。墓地はサンフランシスコ郊外の日本人共同墓地。詳細については、照会資料をご確認ください。
- 回答プロセス
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1.「山梨日日新聞縮刷版」データベースで該当記事を確認。
・フォーチュンクッキー(おみくじクッキー)は、主に米国の中華料理店で提供される。
・金沢市の正月の縁起物「辻占煎餅(つじうらせんべい)」が起源といわれている。
・ルーツは、明治時代サンフランシスコに渡り、在米甲州人の先駆者で「公園おやじ」として在留邦人に親しまれた実業家・萩原真が現地でもてなしたのが始まりとの説がある。
・萩原真の功績は『在米甲州人奮闘五十年史』で紹介されている。
・現地で日本人料理店の元祖を開業したほか、ゴールデンゲートパークの日本庭園内で喫茶店を経営し、そこで辻占煎餅を出していたらしい。
2.『山梨百科事典』(山梨日日新聞社編・発行 1989年)を調査。「萩原真(はぎはらまこと)」の項に経歴あり(フォーチュンクッキーについての記述はない)。
3.1で紹介されていた『在米甲州人奮闘五十年史』(広瀬守令著 南加山梨海外協会 1934年)を確認。萩原眞に関係する記述は次の部分にあり。(フォーチュンクッキーについての記述はない)。
・p145-146 渡米者の氏名の中に氏名。出身郡は東山梨郡。
・p162-176 「物故せる先輩諸氏」に「故萩原眞氏」あり。
・p549 在米山梨県人死亡者
(※養嗣子・萩原五郎について。p199 名簿。p252-253 金門茶屋主人、明治10生まれ、大正10年渡米。)
3.『山梨県海外移住史』(東京オリンピック郷土訪問海外県人歓迎委員会 1965年)を調査。萩原眞に関係する記述は次の部分にあり。(フォーチュンクッキーについての記述はない)。
・p2山梨県の北米本土移住の第1号として写真の掲載(大正3年60歳)。
・p3明治36年在米山梨会設立(会長・萩原真)
・p9-10「金門公園に輝く日本庭園」
4.NDC383.8の書架で菓子の歴史に関する図書をブラウジング。
・『福を招くお守り菓子:北海道から沖縄まで』(溝口政子著 講談社 2011年)[資料番号0105709604]→p20に「フォーチュン・クッキー」あり。フォーチュンクッキーは大正4(1915)年、日系移民の事業家が辻占煎餅を販売してから生まれたという説が、サンフランシスコに伝わっている。中町泰子氏の研究の紹介、サンフランシスコで現在売られているフォーチュンクッキーの写真あり。
5.4で紹介されていた文献「日系チャプスイレストランにおけるフォーチュンクッキーの受容」中町泰子著(『年報非文字資料研究』第5号(神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター編集・発行 2009年)収載)を確認。
・p185の注に次の記載がある。「フォーチュンクッキーは、山梨県出身の日本人、萩原眞が1907年から1914年頃にサンフランシスコで作ったという説が、1983年の発祥地を決定する裁判時に持ちだされ、認められている。萩原眞は1894年から、請われてゴールデンゲートパーク内にある日本庭園の監督者を務め、その土地に居住を許され、1925年に没するまで家族と共にそこに暮らした。萩原家は、庭園を訪れる観光客に、お茶屋で煎茶と何種類かの瓦煎餅を販売していた。客はアメリカ人であり、出された何種類かの煎餅のうちの一つが占い入りの煎餅、つまり英文メッセージ入りのフォーチュンクッキーだった。」
6.サンフランシスコのゴールデンゲートパーク内にある日本庭園「ジャパニーズティーガーデン」について調査。
・『地球の歩き方』B04サンフランシスコとシリコンバレー(「地球の歩き方」編集室編集 ダイヤモンド・ビッグ社 2011年)[資料番号0104757471]→p126「ゴールデン・ゲート・パークの歩き方」に「日本庭園は、カリフォルニア万国博覧会が開催された1894年に造られた。萩原眞という日本人がレイアウトを担当」とある。
・『Quiet Beauty:The Japanese Gardens of North America』(Kendall H.Brown/by Tuttle Publishing 2013)[資料番号0106291487]→p21-26「Japanese Tea Garden in Golden Gate Park」※庭園のカラー写真あり。
・Golden Gate Park Website( http://www.golden-gate-park.com/japanese-tea-garden.html )
・Japanese Tea Garden Website( http://www.japaneseteagardensf.com/ )
・「海外につくられた日本庭園の系譜」鈴木誠著(「ランドスケープ研究:日本造園学会誌」第69巻3号(日本造園学会 2006.1))(https://ci.nii.ac.jp/naid/110006787336 )※東京農業大学「海外の日本庭園」サイト内で改稿版を閲覧可能。(http://www.nodaigarden.jp/)
※各webサイトへの最終アクセスは2021.1.26
【追記事項】
7.『日系移民人名辞典』北米編 第1巻(日本図書センター 1993年)※『在米日本人人名辞典』(日米新聞社編纂・発行 1922年)の復刻→p154に「萩原眞」あり。経歴と家族について記載(フォーチュンクッキーについての記述はない)。
- 事前調査事項
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「山梨日日新聞」平成25(2013)年11月22日(金)付け1面「風林火山」
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 人口.土地.資源 (334 9版)
- 衣食住の習俗 (383 9版)
- 参考資料
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- 『山梨百科事典』(山梨日日新聞社編・発行 1989年) (p741)
- 『在米甲州人奮闘五十年史』(広瀬守令著 南加山梨海外協会 1934年) (p162-167)
- 『山梨県海外移住史』(東京オリンピック郷土訪問海外県人歓迎委員会 1965年) (p910)
- 『年報非文字資料研究』第5号(神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター編集・発行 2009年) (p185(「日系チャプスイレストランにおけるフォーチュンクッキーの受容」中町泰子著))
- .『日系移民人名辞典』北米編 第1巻(日本図書センター 1993年) (p154)
- キーワード
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- 萩原眞
- フォーチュンクッキー
- 辻占煎餅
- 菓子
- サンフランシスコ
- アメリカ
- 移民
- ゴールデンゲートパーク
- ジャパニーズティーガーデン
- 大和屋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 『年報非文字資料研究』第5号(神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター編集・発行 2009年)収載の「日系チャプスイレストランにおけるフォーチュンクッキーの受容」(中町泰子著)によると、萩原眞は、1894年からサンフランシスコのゴールデンゲートパーク内にある日本庭園の監督者を務め、1925年に没するまで家族と共にそこに暮らした。萩原家は、庭園を訪れる観光客に、お茶屋で煎茶と何種類かの瓦煎餅を販売していた。客はアメリカ人であり、出された何種類かの煎餅のうちの一つがフォーチュンクッキーだった。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物-近代以降 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000148566