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レファレンス事例詳細

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事例作成日
2013年02月03日
登録日時
2013/03/12 16:15
更新日時
2013/06/04 15:39
提供館
埼玉県立久喜図書館 (2110009)
管理番号
埼熊-2012-256
質問

解決

文久2年(1862)の土佐藩の石高と人口を知りたい。
回答

土佐藩の表高(知行充行状や知行目録に書き載せられた禄高。実際の収入高とは相違した)は、慶長5年(1600)から変わらず20万2600石、実高は幕末維新の廃藩前には49万4000石余となっていたとの記述が見つかった。
 
人口については、『藩政一覧』では49万5936人との記述があったが、『土佐藩 日本歴史叢書 12』では、「明治3年(1870)度の届書によれば、その総人口51万6545人」と異なった記述が見られた。その他、文久2年に比較的近い年代の数値としては『藩史大事典 6 中国・四国編』『土佐藩 日本歴史叢書 12』に45万7053人(嘉永6年 1853)との記述があった。記述のあった以下の資料を紹介した。
  
『藩史大事典 6 中国・四国編』(木村礎〔ほか〕編 雄山閣出版 1990)
 p569-595「高知藩(別称土佐藩)」の章あり。
 p574「藩主一覧」の〈山内豊範〉(在任期間が安政6(1859)-明治4年)の項が該当。
石高(表高)20万2600石(慶長期から変わらず)
 p571「藩の居城」の項に人口の記載あり。質問の年に一番近いのは 全領45万7053人(嘉永6年1853)出典の記載はなし。

『日本史籍協会叢書 173 藩制一覧』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1967)
 p152-154〈高知藩〉の項に、「人口は49万5936人」とあり。

『国史大辞典 5』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1985)
 p447-449〈高知藩〉の項、「土佐の石高は全国主長宗我部氏の天正検地によって24万8300石とされていたが、山内氏の江戸幕府から受けた判物は20万2600石余となっている。」「明治三年作成の『土佐国郷村帳』によれば土佐国総石高49万4000石余」

『藩史総覧』(新人物往来社 1977)
 p369-371〈土佐藩〉の項あり。
「石高は表高24万8300石余であった。新田の開発が行なわれ、元禄十三年(1700)には内高約39万2000石、幕末維新の廃藩前には49万4000石余となっていた。」

『土佐藩 日本歴史叢書 12』(平尾道雄編 吉川弘文館 1965)
 p24-28「土地と人口」の項あり。
 p25「山内氏入国後、徳川幕府から給付された朱印状の表高は20万2600国余である。現実は『長宗我部地検帳』に示されたごとく24万石を越えていたので、二代忠義は表高を25万石に改めることを幕府に申請したが、幕臣本多正純によってこれを却下されたと伝えられている。(『高知藩財政史』)」とあり。
 p26に「土佐藩戸口表」あり。(「『山内家覚書』によって町および郷・浦三支配下における戸数と人口を対照したもの」とあり。)この表では「文政2年(1819)42万7228人」「天保14年(1843)45万1890人」「嘉永6年(1853)45万7053人」とあり。また、本文中に「弘化元年(1844)度の宗門改めによれば50万4095人となっている」「明治3年(1870)度の届書によれば、その総人口51万6545人」とあり。

回答プロセス

その他の調査経過は次のとおり。
以下の資料には人口の記載なし
『新編物語藩史 10』(新人物往来社 1976)
 p143-193〈土佐藩〉の項あり。
 p145「同(慶長)8年に山内一豊が24万石にて入封し」とある。


『藩史事典』(藩史研究会編 秋田書店 1977)
 p461-466「高知藩(土佐藩)」
 p461上段「幕府の公認石高は463ヶ村・20万2600石余であったが、実際は長宗我部検地に基づく24万石余であった。これを本田高としたが、新田の増加で幕末には約50万石となった。」
『近世史ハンドブック』(児玉幸多〔ほか〕編 近藤出版社 1984)文献多数
 p112 土佐藩 石高・人口の記載なし
『藩と城下町の事典 国別』(工藤寛正編 二木謙一監修 東京堂出版 2004)
 p555-559〈高知藩(土佐藩)〉の項あり。
「(山内)一豊は慶長六年一月八日に入封し、(略)幕府の公認石高は20万2600石余であったが、実際は長宗我部検地に基づく24万石余であった。のち新田の開発が行なわれ、元禄十三年(1700)には内高約39万2000石、幕末期には49万5000石余となっていた。」とあり。
 

事前調査事項
NDC
  • 予算.決算 (344 9版)
  • 日本史 (210 9版)
  • 九州地方 (219 9版)
参考資料
  • 『藩史大事典 6 中国・四国編』(木村礎〔ほか〕編 雄山閣出版 1990)
  • 『日本史籍協会叢書 173 藩制一覧』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1967)
  • 『国史大辞典 5』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1985)
  • 『藩史総覧』(新人物往来社 1977)
  • 『土佐藩 日本歴史叢書 12』(平尾道雄編 吉川弘文館 1965)
キーワード
  • 高知県-歴史-江戸時代
  • 高知県-人口
  • 土佐藩
  • 高知藩
照会先
寄与者
備考
調査種別
事実調査
内容種別
地名
質問者区分
個人
登録番号
1000128778
転記用URL
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000128778 コピーしました。
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