レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年01月24日
- 登録日時
- 2024/11/02 10:43
- 更新日時
- 2024/12/13 13:28
- 管理番号
- 地-240002
- 質問
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解決
戦国大名・北条早雲が伊勢盛時であり、室町幕府の政所の頭人の伊勢氏の一族だとされているが、北条早雲以降の北条家などの歴代当主が、室町幕府の政所の頭人伊勢氏や政所代の蜷川氏などと交流のあった資料はあるか。
- 回答
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以下の資料を紹介しました。
・『後北条氏家臣団人名辞典』下山治久編 東京堂出版 2006(以下①)
こちらの資料は、後北条家の当主や、関係した主な人物が立項されている辞典です。立項されている人物の解説は、古文書や記録類をもとに記述されています。
<伊勢氏>
①p.47-48に「貞辰 さだとき」が立項されており、「『快元』天文三年六月三日の条では、(中略)氏綱は鎌倉比企谷(鎌倉市大町)で酒宴を開き、(中略)。参加した人達は伊勢備中守貞辰はじめ伊勢八郎、伊勢又次郎・大和兵部少輔入道・千秋入道の面々であった。」との記述があります。文中の『快元』は『快元僧都記』を指しています。
『快元僧都記』は次の資料に収録されています。
・『羣書類従 第25輯』塙保己一編 続群書類従完成会 1971
・『神道大系 神社編 20』 神道大系編纂会 1979
・『藤沢市史料集 18』 藤沢市文書館 1994
・『戰國遺文 後北条氏編 補遺編』下山治久編 東京堂出版 2000
①p.48に「貞運 さだかず」が立項されており、「永禄三年から同九年の間と推定される北条幻庵(宗哲)覚書(立木望隆氏所蔵宮崎文書・三五三五)には幻庵の娘が吉良氏朝に嫁ぐ時に守るべき家訓を述べているが、武家の仕来では伊勢備中の教えを記しており、伊勢貞辰・貞運父子が京都の有職故事を北条家に伝えた人であった事を示す。」との記述があります。
『北条幻庵覚書』は次の資料に収録されています。
・『続々群書類從 第10』 国書刊行会 1907
p.13-17「北條幻庵覚書」
・『神奈川県史 資料編3〔2〕古代・中世(3下)』神奈川県県民部県史編集室編 神奈川県 1979
p.457-461「七二九九 宗哲北篠幻庵覚書」
その他①p.49-50「貞就 さだなり」、①p.50「貞孝 さだたか」、①p.50-51「八郎 はちろう」などが立項されており、それぞれ北条家との関わりが記載されており、既出の史料ほか『明叔録』『小田原衆所領役帳』が出典としてあげられていました。
これらの史料は次の資料に収録されています。
・『小田原市史 史料編 原始・古代・中世1』 小田原市 1995
p.686-689「五五九 明叔録 巻二」
・『戦国遺文 後北條氏編 別巻 小田原衆所領役帳』 東京堂出版 1998
<蜷川氏>
①p.482に「康親 やすちか」が立項されており、「天文十九年十二月十九日北条氏康書状では狩野介・蜷川某・高橋郷左衛門尉に対して某城の番衆を命じ火の用心を申しつけてから帰る事とした。蜷川某は康親の可能性がある。」との記述があります。
「天文十九年十二月十九日北条氏康書状」は次の資料に収録されています。
・『小田原市史 史料編 中世Ⅱ 小田原北条1』 小田原市 1991
p.320「二七二 北条氏康書状(堅切紙)」
出典史料の収録状況の確認にあたっては、次の資料も参考にしました。
『かながわの歴史文献55 神奈川県関係基本史料解説目録』神奈川県立図書館調査部地域資料課編 神奈川県立図書館 2008
※本文をインターネットで公開しています。
https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/publications/rekishi-bunken/
- 回答プロセス
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該当する時期における、北条家の当主を確認した(伊勢宗瑞(伊勢盛時)(北条早雲)→北条氏綱→氏康→氏政→氏直)。その後、各人物について調査した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 北条氏
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000359030