レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/6/1
- 登録日時
- 2024/06/01 15:20
- 更新日時
- 2024/12/13 12:30
- 管理番号
- 奈県図情24-0601
- 質問
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解決
天保14(1843)年に奈良を訪ねた旅行記に、図を見て、断り書き付きで、東大寺大仏と大仏殿の寸法が記されている。東大寺は、平重衡と松永久秀に焼き討ちされているが、現在の建物は宝永6(1709)年に再建されたものであり、当時の財政事情から東西はそれ以前の約6割ほどになっている。旅行記にある寸法はいつの時期のものか。
- 回答
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『奈良史料叢書2 庁中漫録4-6』のp.172によれば「朝野群載ニ曰、大仏殿ノ高サ十-五丈-六-尺、東西二‐十九-丈、南-北【中略】東西砌三-十二-丈七尺」とあります。朝野群載は、1116年成立とされていますので、平重衡が燃やした前の寸法です。これですと、旅行記にある寸法の3/5程度で、54m程度と、現在の寸法とほぼ同じです。
松永久秀らが燃やした後の再建時の記録がやはり、庁中漫録に掲載されており、この翻刻(島津良子・坂東俊彦「玉井家藏『大仏再建記』解説および史料翻刻」2(『南都仏教』88、2006所収))は、「大仏殿再建案二百分之一正面図」を掲載しています。これによれば、「大仏堂 桁行弐拾八間六尺弐寸梁間弐拾五間四尺一寸」としており、52m程度です。
すなわち、旅行記にある大仏殿の東西49間(89m)という数字は、平重衡が燃やした前でも、江戸時代に再建後のものでもないということではないでしょうか。とすれば、鎌倉室町期のものということになります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216)
- 寺院.僧職 (185)
- 参考資料
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奈良県地域振興部文化資源活用課 編. 庁中漫録 4-6. 奈良県, 2017. (奈良史料叢書 ; 2)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I028099233 -
南都佛教研究會 編. 南都佛教 (88) 2006. 東大寺図書館, 2006., ISSN 0547-2032
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000017831-i5799587
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奈良県地域振興部文化資源活用課 編. 庁中漫録 4-6. 奈良県, 2017. (奈良史料叢書 ; 2)
- キーワード
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- 東大寺
- 大仏殿
- 大仏殿再建
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000350837