レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2022/09/21 15:11
- 更新日時
- 2024/12/11 16:08
- 管理番号
- 郷土69
- 質問
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解決
香川県の借耕牛(かりこうし)についてわかる資料はあるか。
- 回答
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江戸時代中期から昭和40年頃まで、香川県では農繁期になると、徳島よりはるばる山を越えて牛を借り、農作業を行っていた。牛が通ったルートはいくつかあり「かりこの道」とよばれている。綾川町には宿場町もあり、多くの牛や牛追いたちで賑わったということである。
借耕牛の風習は、牛を飼うことができなかった讃岐の農家の助けとなり、米作にむかない土地柄であった阿波の人々の貴重な米を得る手段であった。しかし、働く牛にとっては大変過酷な労働となっていたようである。夏と秋の短い期間で借りていたため、一軒の家の作業が終わると次の人が待ち受けており、牛は休む間もなく働かされ、食べ物を食べる元気もなくなった。やせ細って帰ってきた牛の姿を見て阿波の人々は涙し、家族一同で労をねぎらったということである。帰る途中で死んでしまう牛も多く、讃岐のあちらこちらに借耕牛の墓が残されている。
参考文献
『新香川風土記 [1] 香川県の歴史と風土』
新香川風土記刊行会/編集 創土社/発行 1982.10
『あわ/さぬき借耕牛探訪記』 冨田紀久子/画・文・編美巧社 2022.1
『香川県史 14 資料編 民俗』 香川県/編集 香川県/発行
以下の所蔵資料に記載あり。
『あわ/さぬき借耕牛探訪記』 冨田紀久子/画・文・編美巧社 2022.1
『綾上町民俗誌』 綾歌郡綾上町教育委員会 香川県綾歌郡綾上町/発行 1982.5
P.88 「交通」の「峠」の項に借耕牛の通るルートの記載あり。「借耕牛の通る峠は、琴南の明神から、焼尾峠を通り、牛の子堂・曲木・山角に出そこから二つに分かれ一つは堂谷を通り、高飛峠に至るもの、今一つは、萩戸・土井・山田上の休み場を通って土仏に至るのである。山角には、牛の休み場があり、そこにお薬師さんが祀ってあり、小さい堂祀が建てられている。」とある。P.90には西分山角にあった旅籠つるやの記述と写真の掲載あり。
P.100 「借り耕牛の習俗」の項あり。ルートについては「阿波から琴南の明神を通り、中通へ追うてくる。中通に中継所があって」「西分の山角は借耕牛の休憩所であった」との記載あり。
P.282,283 口承文芸の項に「源氏の兵、牛の子堂」についての項に、堂尻山の山道がかつて阿波からの借耕牛の主要な街道だったとの記載がある
『香川の地理ものがたり』 「香川の地理ものがたり」編集委員会/編 日本標準 1982.4 P.111~116
『綾上町誌(旧)』 綾歌郡綾上町教育委員会/編 香川県綾歌郡綾上町/発行 1978.2
P.224,225 「綾上古道かりこの道」の記載にて、綾上地区の借耕牛追いの様子が記されている。
P.203 山角・曲木の町並みの地図あり。
『綾南町誌』 綾南町誌編纂委員会/編 綾南町 1998.3
P.478,479
P.1151 陶村字寄町(よせまち)が借子牛の交換の場であったとの記載あり。
『琴南町誌』 琴南町誌編纂委員会/編集 琴南町 1986 P.595~600,881,882 詳しい記述あり。
もとは阿波の山間部から讃岐の農家に常雇いとして雇われている男を「借子(かりこ)」といっていた。天保年間になると讃岐では砂糖キビを締めるために多くの人夫(締子(しめこ))と牛が必要であったため、主に阿波の三好・美馬両郡から締子と共に牛が出稼ぎに出るようになり、次第に牛のみとなっていたとの記載がある。
『香川県史 14 資料編 民俗』 香川県/編集 香川県/発行 1985.11 P.277~283
『新修満濃町誌』 満濃町誌編さん委員会・満濃町誌編集委員会/編 満濃町 2005.5
P.359 借耕牛の道についての記載あり。借耕牛は江戸中期より増え、1955年(昭和30年)頃から機械化が進み、見られなくなったとのことである。
『香川県農業史』
香川県農業史編纂委員会/編 香川県農業改良普及会 1977.3 P.125~131 詳細な記載あり。
『香川県大百科事典』 四国新聞社出版委員会/編 四国新聞社 1984.4 P.211
『日本の民俗 37 香川』 武田明/著 第一法規/発行 1977.11 P.90,91
『子ども日本風土記 香川 37』 日本作文の会/香川県編集委員会/編 岩崎書店 1973.10 P.126~128
『讃岐ものしり事典 合冊改訂版』 香川県図書館協会/編 香川県図書館協会/発行 1982.4 P.201
『源平の舞台はいま』 読売新聞高松支局/編 美巧社/発行 1986.3
P.99~101 「牛の子堂 赤牛の先導で屋島へ」の項に、源義経が通ったとされる道は借耕牛のルートでもあったとの記載あり。
『民俗資料選集 29 茶堂(辻堂)の習俗 徳島県・香川県 2』文化庁文化財保護部/編 国土地理協会 2001.5
綾川町の記載あり。
P.147,148 「山角のお堂」の項に「お堂の前を行く道は、陶・山田方面からの阿波街道であり、かつては借耕牛の群れが土埃を巻き上げて通った道である。山角は牛の中継所であり、旅籠もあればちょっとした店などもあって、休み場として賑わっていた。」と書かれている。
『新香川風土記 [1] 香川県の歴史と風土』
新香川風土記刊行会/編集 創土社/発行 1982.10 P.287~289 P.375
『子ども日本風土記 香川 37』 日本作文の会/香川県編集委員会/編 岩崎書店/発行 1973.10
P.126~128
『讃岐の道』 香川県土木部内「峠の会」/編 香川県土木部内「峠の会」 1974.1
P.111~114
P.115~122 「石仏のみち」の項に香川県内の牛の墓についての記載あり。
『わたしのふるさと地図』 南 四郎/著 南四郎作品集刊行会 1983.8 P.59~61
『綾上町文化財ハイキングガイド』 綾上町教育委員会/著 綾上町体育協会
P.49 「山角」の項に記載あり。
『新修 塩江町史』 塩江町史編さん委員会/編 塩江町/発行 1996.8 P.277~279
『四国のみちを歩く 四国自然歩道』 香川県環境自然保護課/編 香川県/発行 1992.3
P.20,21 山角峠についての記載あり。
『讃岐 農林業の石碑』 香川県農林部/編 香川県農林部/発行 1981.1
P.233 綾南町(現綾川町萱原)の石碑「耕牛供養」の掲載あり。写真あり。
- 回答プロセス
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所蔵資料中に記載があるものを探した。「借耕牛」は香川県の伝統文化であったため、他の地域の町誌等にも記載が見られるので、それも調べた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 農業史.事情 (612)
- 日本 (291)
- 風俗史.民俗誌.民族誌 (382)
- 参考資料
- キーワード
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- 借耕牛
- 香川県の耕牛
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000321588