県内の孝謙天皇に関する記述が確認できた資料は以下の通りです。
・下野新聞 昭和41年2月7日6面 「孝謙神社 (石橋町上大領)実は御陵」
郷土史研究会による発掘調査や研究について書かれており、孝謙天皇は石橋で没し当地にある孝謙天皇神社がその墓所であるとの見方を強めている、といった記述があります。
調査を行ったという「郷土史研究会」についての情報や、その後の研究についての情報は確認できませんでした。
・『下野郷土史異聞』(田村豊幸/著 金剛出版 1974)
p.39-45「栃木県を歩いた弓削道鏡 道鏡が栃木県へくるまでの住居」の項があり、上記新聞記事が紹介されています。
・『栃木県神社誌 神乃森 人の道』(栃木県神社庁/編、発行 2006)
p.754「孝謙天皇神社」の項があります。由緒沿革として、下野国に配流された弓削道鏡を憐れみ、当地に来られて崩御された、といった記載があります。
・『那須記 再版』(黒尾東一/編著 横田印刷所 1970)
p.276-278「七、和見村王子の森唐の御所の事」
道鏡は下野に流され、那須郡に石室を作り、その後孝謙天皇がこの付近に住み崩御したとの説もある、といった記述があります。
・『日光駅程見聞雑記 下』(多紀安長/著 英屋大助 1843)
p.66 石橋町の項に、上代領というところの畑の内、うつ木の群のある所が孝謙天皇の陵である、といった記述があります。
・『下野伝説集 追分の宿〔改訂増補版〕 』(小林友雄/著 月刊さつき研究社 1976)
p.306-307「妄説・女帝と怪僧をめぐりて」の項に、上記「那須記」と「日光駅程見聞雑記 下」の記述に対する見解が述べられています。
・『日本歴史地名大系 9 』(平凡社 1988)
p.122「和見村(那須郡馬頭町)」の項があり、下野へ流された道教とその後を追ってきた孝謙天皇が住んだ場所と伝えられる、といった記述があります。
p.482-483「塩山村(鹿沼市)」の項に、「大内神社は、伝承によれば宝亀三年(七七二)下野を巡行中の孝謙天皇の守神と称する雲石不動を勧請したものという。」とあります。
p.555-556「上大領村(下都賀郡石橋町)」の項に、「大領という地名は古代の役職名にちなむとも、当地に孝謙天皇神社が鎮座することから内裏領の転じたものともいう。」とあります。
p.617「持宝寺(小山市)」の項に、「弓削道鏡の草創と伝え、孝謙天皇の陵墓を築いて皇墳山と称し道鏡は別当山坊となったという」とあります。
以下の資料はお調べしましたが、関連の記述は確認できませんでした。
・『下野史学 21号~24号』(下野史学会/編、発行 1966)
・『下野の古代史 下』(前沢輝政/著 有峰書店 1975)
・『栃木県の文化財』(村上喜彦/編 下野新聞社 1967)
・『栃木県 郷土資料事典・観光と旅』(人文社観光と旅編集部/編 人文社 1989)
・『郷土歴史人物事典栃木』(尾島利雄/編著,柏村祐司/編著 第一法規出版 1977)
・『栃木縣史 第11巻(史蹟名勝編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972)
・『栃木縣史 第3巻(神社編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972)
・『栃木縣史 第4巻(寺院編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972)
・『茂木町史 第5巻 通史編1』(茂木町史編さん委員会/編 茂木町 2001)
・『茂木町史 第一巻自然民俗・文化編』(茂木町史編さん委員会/編 茂木町 1995)
・『全国の伝承江戸時代人づくり風土記 聞き書きによる知恵シリーズ 9』(加藤秀俊/〔ほか〕編纂 農山漁村文化協会 1989)
・『日本史大事典 第3巻』(平凡社 1993)
・『国史大辞典 5』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1985)
・『孝謙・称徳天皇』(勝浦令子/著 ミネルヴァ書房 2014)
・『最後の女帝孝謙天皇』(滝浪貞子/著 吉川弘文館 1998)