レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/07/22
- 登録日時
- 2012/11/02 14:59
- 更新日時
- 2013/01/27 15:47
- 管理番号
- 埼久-2012-086
- 質問
-
解決
南永井村(現・所沢市)の名主の吉田弥右衛門の「覚書聞書覚帳」(「弥右衛門覚書)」)の中の人名等の読み方を知りたい。『サツマイモと日本人』(伊藤章治著 PHP研究所 2010)に出てくる。
1 江戸木ひき町川内屋八郎兵衛
2 かつさ国志井津村長十郎
3 さつまいも二百ニて代五百文買落銭共一分二朱懸り申候
4 家内にてさつまいも作り初め候ハ
5 長十郎殿方へ弥左衛門遺シ種を調、作リ初メ隣郷ヘ広メ申候
- 回答
-
原資料の記載のある『所沢市史 上』『江戸時代人づくり風土記 11 ふるさとの人と知恵 埼玉』を確認し、意味を考慮した上で以下を回答した。また古文の読み方についてはいろいろな読み方ができることを紹介した。
1 江戸木挽町(えど こびきちょう)川内屋八郎兵衛(せんだいやはちろべえ)
2 上総国志井津村(かずさのくに しいづむら) *現在の千葉県市原市
3 さつまいも二百ニて代五百文買落銭共一分二朱懸り申候
さつまいもにひゃくにてだいごひゃくもんかいおとし、ぜにどもいちぶにしゅかかりもうしそうろう
4 家内にてさつまいも作り初め候ハ
かないにてさつまいもつくりはじめそうらわば
5 長十郎殿方へ弥左衛門遺シ種を調、作リ初メ隣郷ヘ広メ申候
ちょうじゅうろうどのかたへやざえもんつかわしたねをととのえ、つくりはじめ、りんごうへひろめもうしそうろう
古文については、返り点や送り仮名などがない場合も多く、また時代的にも変化があり、いろいろな読み方ができるので、読み下しについては参考程度とする。 たとえば「候ハ」は「そうらわば」「そうらえば」などと読むことができる。 また、「候」のみでもその音は「さぶらふ」「さうらふ」があてられ、決定するのは困難。
『古典文法詳説』(小田勝著 おうふう 2010) p473、 『古典文法概要』(速水博司 愛育社 1997) p270 などを参照した。
- 回答プロセス
-
まず引用された文章の出典を確認する。
『サツマイモと日本人』の中では『三芳町史 民俗編』とあったが、本来の出典は『所沢市史 近世史料 2』 (所沢市史編さん委員会・所沢市編 所沢市 1983)。p222-233 吉田家文書 弥右衛門覚書あり。原文のみで読みなし。
『所沢市史 上』(所沢市史編さん委員会・所沢市編 所沢市 1991)では、ほとんど新漢字・読み下しとなっている。p682に該当部分の概略あり。「さつまいも200を500文で買い求め、・・・これに要した経費は路銀などを含めて合計1分2朱であった。」
《Google》を〈川内屋八郎兵衛〉で検索すると個人のウェブサイト内の「川越のさつまいも」の文献紹介の中で「日本甘藷栽培史」(中馬克己著 高城書房 2002) 第2章の引用文献として下記の資料が紹介されていた。
『江戸時代人づくり風土記 11 ふるさとの人と知恵 埼玉』(石川松太郎〔ほか〕編 農山漁村文化協会 1995) p90-91 「弥右衛門覚書」の紹介に概要あり。難しい漢字にはふり仮名あり。
「さつまいもは、享保6年に薩摩国から将軍へ献上されており、寛延4年(宝暦元年、1751年)2月28日に、弥右衛門は当時26歳の息子弥左衛門(やざえもん)を、江戸木挽町(こびきちょう)川内屋(せんだいや)八郎兵衛(はちろべえ)の仲介により、上総国(かずさのくに)志井津(しいづ)新田(千葉県市原市)の長十郎(ちょうじゅうろう)方へつかわし、さつまいも二百を5百文(もん)で買い求め、」
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 9版)
- 食用作物 (616 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
-
- 『所沢市史 上』(所沢市史編さん委員会・所沢市編 所沢市 1991
- 『江戸時代人づくり風土記 11 ふるさとの人と知恵埼玉』(石川松太郎〔ほか〕編 農山漁村文化協会 1995)
- キーワード
-
- 所沢市-歴史
- さつまいも-歴史
- 吉田 弥右衛門(ヨシダ ヤエモン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000113313