レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2025年07月04日
- 登録日時
- 2026/02/21 15:59
- 更新日時
- 2026/02/23 09:11
- 管理番号
- 地-250009
- 質問
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解決
『八幡大神』という本で読んだ鶴嶺八幡宮について『新編相模国風土記稿』に詳しいことが書いてあるらしい。具体的にはさつかわ大神?という神様が祀られているということだが、いつ頃から祀られているのか、どんな神様かということが知りたい。鶴嶺八幡宮の由来についてもあわせて知りたい。
- 回答
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下記の資料を紹介しました。
・『神奈川県百科事典』神奈川県百科事典刊行会編 大和書房 1983
p.589に「つるみねはちまんしゃ 鶴嶺八幡社」が立項されており、下記の説明があります。「茅ケ崎市浜之郷にある。例祭は9月15日。旧郷社。誉田(ほんだ)別命(わけのみこと)・佐塚(さつかの)大神(おおみかみ)をまつる。『新編相模国風土記稿』によると現境内地の北寄りに八幡と佐塚明神社と2社がならんでたち、1宇の拝殿がその前にある形式のお社であったらしい。ともに付近7ヵ村の総鎮守である。(中略)八幡社は宇佐より勧請したとも、源頼義が創建したともいい、その旧本社を源頼朝が現地懐島郷に遷し、懐島権守大庭景能に命じて社殿を建立したとつたえる。」「佐塚明神はこの地の海岸に伊予国の大三島の神(旧官幣大社大山祇(おおやまつみ)神社)が出現したので、1191年(建久2)社屋をいとなんでまつったという。佐塚の名の由来は不明である(以下略)」等と記載されています。
こちらの資料は、国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/)にて、国立国会図書館内/図書館・個人送信限定で公開されています。
『神奈川県百科事典 [本編]』神奈川県百科事典刊行会編 大和書房 1983.7 【永続的識別子】info:ndljp/pid/12193962 【該当ページのコマ数】322コマ
・『新編相模国風土記稿 第3巻』蘆田伊人校訂 雄山閣 1998
p.285~286「鶴嶺八幡社」が立項されており、次のとおり記載されています。 「慶安二年八月社領七石の御朱印を附せらる、往還より社前まで若干を隔つ、其大門の左右雑木繁茂し、又横大門ありて十字をなせり、下の佐塚社と共に當村・下町屋・圓蔵・西久保・矢畑・松尾・茅崎七村の鎮守なり、佐塚明神と両者相並て、拝殿は両社の前に一宇あり、縁起に據ば別社なり、故に今別記す。社傳に筑紫宇佐鶏足寺の僧道印法師、八幡本地種字の正体を奉じ来て祀る、是長承二年八月別当勝福寺(常光院の旧名なり)草創の時なりと云」 「【東国紀行】にも当社の事見ゆ (中略)佐塚明神社社殿に建久二年此浦に伊予の三島の神出現あり、依て現住思允勧進して社を建立し、社僧六坊を定む、佐塚と號する由来は伝へず 例祭六月廿九日、午時濱下りとして茅崎村海濱まで出興す(中略)神躰は木像、長一尺二寸」とあります。
・『茅ケ崎市史4』茅ケ崎市 1981
「近現代 第三章 神仏分離と茅ヶ崎の寺々」より、p.462~465に「鶴嶺八幡宮の神仏分離」の項があります。 p.464には、明治10年5月、神奈川県に提出された「神社明細書」の中に、鶴嶺八幡宮が次のように報告されていたことが記述されています。 「祭神 誉田別命 大鷦鷯命 当社の創立は長承二年(一一三三)のことで、天正年間(一五七三~九二)に社殿と神庫と別当寺、さらにそのほか一社(佐塚大神)みなことごとく焼失したと伝えております。」とあります。
- 回答プロセス
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質問者が示している『新編相模国風土記稿』を確認し、鶴嶺八幡宮のある茅ヶ崎市の市史や県内の地誌に関する資料を調査した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 神社.神職 (175 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 鶴嶺八幡宮
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000380904