レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/03/03
- 登録日時
- 2024/08/24 00:30
- 更新日時
- 2025/07/04 12:15
- 管理番号
- 牛久-1911
- 質問
-
解決
うな丼の発祥の地はどこか知りたい。
- 回答
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うな丼発祥の逸話の1つに、江戸時代文化年間(1804~18年)頃に歌舞伎の興行師だった大久保今助という人物が「故郷である現在の茨城県常陸太田市へ帰る途中、ウナギ漁が盛んだった牛久沼の渡し場の茶店で食事をして舟を待っている時急に舟が出るとの知らせを聞いて、慌てて鰻の蒲焼きの乗った皿を丼に逆さにかぶせて舟に飛び乗った」ことがうな丼誕生のきっかけであるというものがある。この中に「牛久沼」が登場する事から、発祥の地を牛久沼と考えると、現在牛久沼の湖沼面が龍ケ崎市に属するため、現在の龍ケ崎市ともされているとも考えられる。
一方、うな丼の考案者として大久保今助が同様に登場するものの、うな丼発祥の地として牛久沼(または牛久や龍ケ崎)が出てこない逸話もあることが確認できた。内容はいずれも「大久保今助は鰻が好物だったが、一旦芝居小屋に入ると外に食べに出ることが難しかったため、大きな丼に熱い飯と焼きたての蒲焼きを入り交ぜて、蓋をして運ばせ食べた」といったものである。
結論としては、発祥の地の有力な説として牛久沼が挙げられるが、言及のない資料も多く、断定できる資料は見つからなかった。
○大久保今助と牛久沼が登場する逸話が確認できた資料及びWebサイトは、次の通り。※()内の数字は回答プロセスの資料番号。
(2)龍ケ崎市観光物産協会ホームページ内「うな丼発祥の地 龍ケ崎市の牛久沼」…「うな丼誕生の秘密」の項目に記述あり。
(https://www.city.ryugasaki.ibaraki.jp/kanko/kankokyokai/more-ryugasaki/kanko_yomimono/2013081500954.html)
(※最終アクセス日は2024年3月1日)
(3)『広報うしく 2012年(平成24年)』(牛久市役所/牛久市/2012)
…10/1号のp26「歴史:再発見・牛久 第5話」に「うな丼発祥地は牛久沼渡し場の森跡-現在の牛久市城中町字根古屋-」として記事あり。
(4)常陽藝文センター「常陽藝文 2011年6月号(No.337)」
…p26-29「有力な『うな丼の発祥地・牛久沼』説」に記述あり。なおp26で牛久沼を発祥とするこの逸話は「牛久沼一帯に伝わる」話であるとも書かれている。
(5)『企画展牛久沼』(龍ケ崎市文化振興事業団/龍ケ崎市歴史民俗資料館/1996)…p12-13「5 うな丼のはじまり」に記述あり。
(6)『私たちの牛久沼』(茨城県県内地方総合事務所編/茨城県県南地方総合事務所/2004.2)…p9「(3)牛久沼とうなどん」に記述あり。
(8)『日本食文化人物事典』(西東秋男編/筑波書房/2005.4)…p69「大久保今助」の項に記述あり。
○なお、下記資料では発祥の地は龍ケ崎市となっていた。
(7)『日本全国発祥の地事典』(日外アソシエーツ株式会社編/日外アソシエーツ/2012.7)…p64-65に「うな丼発祥の地」として大久保今助が考案した逸話と、発祥の地の所在地として龍ケ崎市とあり。
- 回答プロセス
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1.一般件名「うなぎ」+資料状態「所蔵」で自館資料検索した所、33件ヒット。ヒットした資料の請求記号を確認し、請求記号「664.69」(淡水魚)と「487.66」(ウナギ目)の棚をブラウジング。
(1)『旅するうなぎ』(黒木真理、塚本勝巳/東海大学出版会/2011.7)
…p199にうな丼の発祥について「大久保今助が日本橋で売り出した」との記述があったが、発祥の地に関する記述はなかった。売り出した場所を発祥の地とするなら日本橋になるかも?
→他に発見した以下の4冊はうなぎの生態や保全に関する内容で、うな丼の発祥についての記述は見つからなかった。
・『世界で一番詳しいウナギの話』(塚本勝巳/飛鳥新社/2012.9)
・『ウナギと人間』(ジェイムズ・プロセック/築地書館/2016.5)
・『ウナギの保全生態学』(海部健三/共立出版/2016.5)
・『結局、ウナギは食べていいのか問題』(海部健三/岩波書店/2019.7)
2.フリーワード「うな丼」+資料状態「所蔵」で自館検索した所、4件ヒット。その内2冊は郷土資料で受付していたのと別フロアだったため、内容確認は後にして、続けてWeb際との情報確認のためキーワード「うな丼」&「発祥」でgoogle検索した所、下記のWebページがヒット。
(2)龍ケ崎市観光物産協会ホームページ内「うな丼発祥の地 龍ケ崎市の牛久沼」
(https://www.city.ryugasaki.ibaraki.jp/kanko/kankokyokai/more-ryugasaki/kanko_yomimono/2013081500954.html)
…「うな丼誕生の秘密」の項目に、江戸時代後期の芝居の金方(資金を出す人)で、鰻の大好きな大久保今助が、故郷(現在の常陸太田市)に帰る途中牛久沼まで来て、茶店で渡し船を待っている時に鰻が食べたくなり、蒲焼きとドンブリ飯を頼んだが、舟が出るとの声に、ドンブリと皿を借りてドンブリ飯の上に鰻の蒲焼きがのった皿をポンと逆さにかぶせて船に乗り込み、対岸に着いてから食べたという逸話が紹介されていた。引用元の資料は見当たらなかった。
→取りあえず(1)(2)を見ていただき、(2)の逸話に牛久沼が登場することから地名が入っている牛久、または現在牛久沼の湖沼面が属する龍ケ崎が発祥の地とされている可能性が高いのではと説明。その上で郷土資料や参考図書など、もう少し調査を続行すれば他資料が見つかるかもしれないと伝えた所、(2)の「牛久沼が発祥」説が分かったのでここまででよいとの事だった。
3.資料としてうな丼発祥の地について記述がある資料がないか、追加調査することにし、まず2の自館資料検索時に確認を後回しにした郷土資料2冊の内容を確認。
(3)『広報うしく 2012年(平成24年)』(牛久市役所/牛久市/2012)
…10/1号のp26「歴史:再発見・牛久 第5話」に「うな丼発祥地は牛久沼渡し場の森跡-現在の牛久市城中町字根古屋-」として記事あり。(2)で紹介されていた大久保今助の逸話がより詳細に記述されていた。また第1段落中に「『日本食物史年表』に文化11(1814)年に大久保今助がうな丼を作った記されている」との記述があった。
(4)『常陽藝文 2011年(合本)』(常陽藝文センター/2011)
…2011年6月号(No.337)のp26-29に「有力な『うな丼の発祥地・牛久沼』説」の見出しで記述あり。逸話の引用元として文中に「龍ケ崎市歴史民俗資料館が編集発行した企画展図録『牛久沼』」が挙げられている。なおp26に、牛久沼を発祥とするこの逸話は「牛久沼一帯に伝わる」話であるとも書かれていた。
ただ同時に水戸街道の旅人で近道をして牛久沼を船で渡る人が多かったため、大久保今助が郷里への行き帰りに渡し舟を利用して伝承のようなことをした可能性があり、「牛久沼としても矛盾はない」「確証がないが、否定材料もない」とも記述されている。
4.(3)(4)に書名が挙げられていた『日本食物史年表』と「企画展図録『牛久沼』」の内容を確認するため、それぞれをフリーワードで自館資料検索して所蔵確認。
(5)『企画展牛久沼』(龍ケ崎市文化振興事業団/龍ケ崎市歴史民俗資料館/1996)
…書名に「図録」は入っていないが出版者が共通しているため、この資料と断定。
…p12-13「5 うな丼のはじまり」に牛久沼がうな丼発祥の地と言われており、(2)(3)(4)と同じ大久保今助が考案した逸話あり。なお「※牛久亭パンフレット参考」と文末に記載があった。
→なお『日本食物史年表』については所蔵がなく、出版も確認できなかった。念のためキーワード「日本食物史年表」でgoogle検索した所、人文系データベース協議会のホームページがヒットし、同一名のWebデータベースが存在したようだが、現在は公開停止中でリンク切れの状態(https://www.jinbun-db.com/database/archives/49792)。
5.(5)があった、牛久沼に関する郷土資料がある書架をブラウジングし、以下の資料に記述があるのを発見。
(6)『私たちの牛久沼』(茨城県県南地方総合事務所編/茨城県県南地方総合事務所/2004.2)
…p9「(3)牛久沼とうなどん」に(5)とほぼ同じ内容の記述あり。引用元の資料は見当たらなかった。
6.発祥の地が牛久沼である逸話の引用元がはっきりしないため、さらに調査を続行。一般件名「事物起源」+資料状態「所蔵」で自館資料検索。ヒットした54件の書誌事項を確認し、以下の資料の内容を実際に調査。
(7)『日本全国発祥の地事典』(日外アソシエーツ株式会社編/日外アソシエーツ/2012.7)
…p64-65に「うな丼発祥の地」として大久保今助が考案した逸話が掲載されており、発祥の地の所在地として龍ケ崎市とあり。逸話の内容は(2)~(6)とほぼ同じだが簡略的で、かつ「牛久沼」の地名はなし。
7.請求記号「R383.8」(飲食史)の書架をブラウジングし、直接資料内容を確認。以下の資料にうな丼の発祥に関する記述を発見。
(8)『日本食文化人物事典』(西東秋男編/筑波書房/2005.4)
…p69「大久保今助」の項目に「牛久沼」の地名が入っている内容でうな丼の逸話あり。末尾に「文献」として『塵塚談 俗事百工起源』と記載されていた。『俗事百工起源』には、芝居小屋で食べていたという別の起源説あり。
(9)『日本の味探究事典』(岡田哲編/東京堂出版/1996.1)
…p50の「うなどん 鰻丼(東京)」の項目に大久保今助が芝居の出前で考案した逸話あり。発祥の地は記述なし。
8.発祥の逸話の多くに大久保今助が登場していることから、大久保今助について人名事典に当たる。
(10)『コンサイス日本人名事典』(三省堂編修所編/三省堂/2009.1)
…p238に「大久保今助」の項目はあるが、うな丼についての記述はなし。
(11)『講談社日本人名大辞典』(上田正昭監修/講談社/2001.12)
…p337に「大久保今助」の項目があり、うな丼を初めて作らせた人物との記述はあるが、発祥の逸話はなし。
(12)『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞社編/朝日新聞社/1994.11)
…p292に「大久保今助」の項目があり、「鰻丼を発明した」との記述はあるが、逸話や発祥の地はなし。
9.請求記号「383.81」の書架をブラウジングし、直接資料内容を確認。以下の資料にうな丼の発祥に関する記述を発見。
(13)『食卓の日本史』(橋本直樹/勉誠出版/2015.12)
…「うなぎ飯、現在の鰻丼」として端的に発祥について記述があるが、大久保今助の名前や発祥の地の名前はなし。
(14)『江戸前魚食大全』(冨岡一成/草思社/2016.5)
…p254に宮川政運の『俗事百工起源』に出てくる逸話として、大久保今助が考案した逸話が記述されているが、発祥の地の名前はなし。
(15)『江戸っ子が好んだ日々の和食』(中江克己/第三文明社/2016.6)
…p151に大久保今助が考案した逸話があったが、発祥の地の名前はなし。
(16)『「和の食」全史』(永山久夫/河出書房新社/2017.4)
…p271に大久保今助が考案した逸話があったが、発祥の地の名前はなし。
10.(8)(14)の記述・引用の元になっている『俗事百工起源』は所蔵がないため、内容確認のため相互貸借で茨城県立図書館から下記の資料を借受。
(17)『塵塚談 俗事百工起源』(小川顕道、宮川政運/現代思潮社/1981.1)
…p241-242の「うなぎ飯の始め、ならびに蒲焼のこと」に大久保今助が考案した逸話があったが、発祥の地の名前はなし。(8)では「牛久沼」の地名が記述にあるが、載っている部分を発見できなかった。
→以上の調査から、発祥の地の有力な説として(2)~(8)の記述から牛久沼が挙げられるが言及のない資料も多く、引用元が確認できる資料は見つからなかったため、結論としては、断定はできないが牛久沼(湖沼面の所属は龍ケ崎市)がうな丼発祥の地とする説が有力と考えられる。
(※全ての最終アクセス日は2024年3月1日)
- 事前調査事項
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・質問者によれば「何で知ったかは覚えていないが、以前牛久とも龍ケ崎とも聞いたことがある」との事だった。
- NDC
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- 日本語 (031 10版)
- 衣食住の習俗 (383 10版)
- 地方自治.地方行政 (318 10版)
- 参考資料
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- B10931076 広報うしく 2012年(平成24年) 牛久市役所 牛久市 2012 318.5
- B10635592 常陽藝文 2011年 常陽藝文センター 常陽藝文センター 2011 291
- B10129900 企画展 牛久沼 龍ケ崎市文化振興事業団 龍ケ崎市歴史民俗資料館 1996
- B10443062 私たちの牛久沼 茨城県県南地方総合事務所/編 茨城県県南地方総合事務所 2004.2
- B10513622 日本食文化人物事典 西東秋男/編 筑波書房 2005.4 383.81 9784811902784
- B10631763 日本全国発祥の地事典 日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ 2012.7 031.4 978-4-8169-2369-2
- 龍ケ崎市観光物産協会ホームページ内「うな丼発祥の地 龍ケ崎市の牛久沼」 https://www.city.ryugasaki.ibaraki.jp/kanko/kankokyokai/more-ryugasaki/kanko_yomimono/2013081500954.html 2024.3.1
- キーワード
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- うな丼
- 鰻丼
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000354739