レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/03/31
- 登録日時
- 2024/07/20 12:00
- 更新日時
- 2024/08/08 14:59
- 管理番号
- 2024-020
- 質問
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解決
陸奥国分寺の造営地はどのように選ばれたのか。
- 回答
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陸奥国分寺は741(天平13)年、聖武天皇が国家鎮護のために発した国分寺建立の詔によって建立された。その詔では、国分寺を造る場所について、造塔の寺は国の華であるから人里から遠すぎず近すぎず人々が集まりやすい所を選ぶことと命じている。
国府と国分寺・国分尼寺は近い場所に造られることが多かったようだが、陸奥国分寺は国府である多賀城から約10kmも離れている。国府から離れた場所に造営した理由としては、多賀城には仙台平野の北端部に多賀城廃寺と呼ばれる付属の寺院跡が南東約1.2kmにすでにあったことが関係しているのではないかと推測されている。
そこで多賀城から離れ、集落が広く展開しており、仙台平野の中央に位置する場所として造営地に適していると選ばれたのが、若林区木ノ下であった。木ノ下地区は南東部に水田地帯が広がる平坦地のため工事の際の手間が少なく、また平野の中央にあるため視界を遮るものがなく、小高い丘陵にあった国府・多賀城からも見渡せるという点や、西側を通る東(あずま)街道を多くの人が行き来することから仏教信仰の教化という点も期待されていたと思われる。
- 回答プロセス
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まず蔵書検索システムで「陸奥国分寺」「国分寺」などをキーワードに検索してみたが、造営地に関して述べられている資料は少なかった。次に、国立国会図書館デジタルコレクションで「陸奥国分寺」で検索したところ、『刀剣と歴史』595号(日本刀剣保存会)の中の「みちのく古街道紀行(四)陸奥国分寺薬師堂縁起」に造営地として選ばれた理由を考察している部分があった。
さらに『最北の国分寺と蝦夷社会 仙台平野からみた律令国家』p256「陸奥国分寺の立地」という箇所に詳細な記述があったのでこれを回答とした。
- 事前調査事項
- NDC
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- 百科事典 (030)
- 東北地方 (212)
- 歴史 (200)
- 参考資料
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伊東信雄/著. 仙台郷土史の研究. 宝文堂出版, 1979.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I04115910001015 , ISBN 4-09-526006-8 -
河北新報社宮城県百科事典編集本部 編. 宮城県百科事典. 河北新報社, 1982.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001570921 , ISBN 4-09-526020-3 -
史跡陸奥国分寺・国分尼寺跡 : よみがえる古代の寺院. 仙台市教育委員会, 2004. (仙台市文化財パンフレット ; 第52集)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008270864 , ISBN 4-09-526025-4 -
須田勉 著. 国分寺の誕生 : 古代日本の国家プロジェクト. 吉川弘文館, 2016. (歴史文化ライブラリー ; 430)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I027474536 , ISBN 4-09-386028-9 -
陸奥と渡島. KADOKAWA, 2022. (角川選書 ; 656. シリーズ地域の古代日本)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I032183436 , ISBN 978-4-04-703694-9 -
斎野裕彦 著. 最北の国分寺と蝦夷社会 : 仙台平野からみた律令国家. 敬文舎, 2023.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I032823852 , ISBN 978-4-537-25490-7
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伊東信雄/著. 仙台郷土史の研究. 宝文堂出版, 1979.
- キーワード
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- 陸奥国分寺
- 国分寺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000353434