レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年11月17日
- 登録日時
- 2023/11/17 14:00
- 更新日時
- 2023/12/04 19:44
- 管理番号
- 2023-038
- 質問
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子午線の場所はなぜ明石になったのか。
- 回答
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明石市立天文科学館のWebサイトに以下の記載がありました。
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東経135度子午線が明石を通ることを知り、その通過地点に標識を建てることを最初に考えたのは、明石郡小学校長会の人々でした。
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参考URL: 明石と子午線の歴史(明石市立天文科学館)
https://www.am12.jp/akashi-shigosen/ [2023/11/17 最終確認]
同Webサイトに、本学がある神戸市西区も子午線が通っているとの記載がありました。
参考URL: 東経135度子午線をとおるまち(明石市立天文科学館)
https://www.am12.jp/135-jstm/ [2023/11/17 最終確認]
河野 健三(1985)『関西天文ハイキング(12) 東経135度子午線上の標識』天文月報 78巻 12号, p.342
によると、神戸市西区では当時
⑤神戸市西区平野町(明治43年)⑥同区神出中学校校庭
に標識があったようです。
参考URL: 天文月報目次一覧(日本天文学会)
https://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1985/index.htm
神戸新聞NEXTのWebサイトに以下の記載がありました。
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「子午線のまち」と兵庫・明石が称されるいわれをひもとくと、一つのモニュメントに行き着く。
「大日本中央標準時子午線通過地識標」。
明石郡小学校長会の先生が1910(明治43)年、兵庫県明石市天文町に建立した国内初の子午線標識だ。
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参考URL: なぜ?「子午線のまち」標識建立まで20年以上の「空白」 明石
https://www.kobe-np.co.jp/news/akashi/202112/0014906395.shtml [2023/11/17 最終確認]
上記の論文は以下から閲覧できます。
吉野 健一(2022)『算術教育史から考察する「子午線のまち明石」の誕生: 国定算術教科書と子午線標識建立との関係』 数学教育史研究 22巻, p.13-24
https://doi.org/10.51012/jshsme.22.0_13
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000341142