レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年06月15日
- 登録日時
- 2023/08/17 14:03
- 更新日時
- 2023/12/03 16:23
- 管理番号
- 島根郷2023-015
- 質問
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解決
所有している昔の地図では、大田市三瓶町志学ロ1234の南方に「陸軍省用地(もしくは団地?)」と書かれている箇所がある。現在の住宅地図では、何も建物がないが、ここには何があったか知りたい。
- 回答
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当館所蔵資料を紹介し、回答とした。
これらの資料から、該当の場所には、陸軍演習場があったと思われる。
〇資料1:p.84-86「陸軍演習場の設置」
明治25年に陸軍演習場の設置手続きが大体完了したことが書かれている。
買収対象になった土地に、志学も含まれている。
なお、三瓶原では江戸時代から牛の放牧がおこなわれていたとのこと。
〇資料2:p.212-219「陸軍演習地となった三瓶原」
ここには、以下のような内容が書かれている。
・当時志学は佐比売村(さひめむら)であった。
・明治19年、広島第五師団野戦砲兵第五連隊が、東の原で実弾射撃の演習をおこなう。
・明治21年から、軍用地として土地の買収が始まる。第一期の対象地区は、小屋原、池田多根、山口、志学、角井。土地買収が終わったのは明治43年。
・明治33年、広島師団から五連隊の野砲が志学に到着。周辺でおこなわれている和牛放牧期間をのぞいて、演習が始まる。
・明治32年、浜田二十一連隊が演習にくるようになる。
・明治39年、松江六十三連隊が演習地として使うようになる。
・明治41年、志学の八面(やおもて)神社付近に兵舎が建設される(p.215 廠舎配置図あり)。
そのほか、「三瓶演習場日誌」の抜粋や、野砲の実弾演習を見学した感想などが掲載されている。
〇資料3:p.98-104「陸軍演習地の夢のあと」
文章は、資料2と重複している部分が多い。
昭和21年農林省による開拓団の入植計画など、戦後についても少し触れられている。
【補足事項】
〇資料4:p.20-21によれば、歩兵第二十一聯隊は、独立大隊(第一大隊)が明治17年、第二大隊が明治19年に編成され、明治31年7月に当時の島根県那賀郡浜田町に移転している。
〇資料5:p.193-195,841によると、歩兵第六十三聯隊は、明治38年7月に編成し広島と小倉に分屯、翌月から大連で守備につき、明治40年3月に内地帰還が発令されるまで大連で平時編成に復している。
聯隊が第十七師団に転属し、島根県松江市が衛戍地となったのは明治40年とのこと。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 国防史.事情.軍事史.事情 (392 8版)
- 中国地方 (217 8版)
- 参考資料
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【資料1】平井秀雄 著 , 平井秀雄. 島根和牛の蹄の跡 : 1~100号. 島根県畜産会, 1993.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069487620-00 (当館請求記号:郷貸出645.3/シ93) -
【資料2】志学教育百年事業推進委員会/編 , 志学教育百年事業推進委員会. 志学教育百年史. 志学教育百年事業推進委員会, 1977.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069502865-00 (当館請求記号:093.7H1/593 ※貸出禁止資料) -
【資料3】石村禎久 著 , 石村, 禎久. 三瓶山の史話. 大田市観光物産館, 1967.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001111156-00 (当館請求記号:郷貸出388/140) -
【資料4】歩二一会 編 , 歩二一会. 浜田聯隊史. 歩二一会, 1973.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001216131-00 (当館請求記号:郷貸出396.5/ホ73) -
【資料5】歩兵第63聯隊史編纂委員 編. 歩兵第六十三聯隊史. 歩兵第63聯隊史刊行委員会, 1974.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001213765-00 (当館請求記号:093.9/19 ※貸出禁止資料)
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【資料1】平井秀雄 著 , 平井秀雄. 島根和牛の蹄の跡 : 1~100号. 島根県畜産会, 1993.
- キーワード
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- 島根県大田市
- 三瓶山
- 陸軍--日本--歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000337325