レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022.9.11
- 登録日時
- 2022/09/10 18:00
- 更新日時
- 2023/09/22 12:54
- 管理番号
- 郷土67
- 質問
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解決
文久2年(1862年)の旅行記『伊勢参りの旅日記』という資料に綾川町滝宮の「宿阿波屋重五郎宅」と記載されている。その所在地や、現在はどうなっているのか知りたい。また、文久2年の「町割り図」があれば見たい。
- 回答
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「町割り図」の所蔵はない。以下の所蔵資料にて所在地がわかった。
『綾南町誌』 綾南町誌編纂委員会/編 綾南町 1998.3
P.27 江戸時代、金毘羅信仰が盛んに行われたであろう年代に描かれた「安益橋(あやばし)造立縮図」(滝宮の宿場町と綾川にかかる橋を描いたもの。正確な制作年不明)に「あハや」と記された建物あり。
P.414 「大正2年ごろの滝宮本町付近」の商店名が記された地図が掲載されており、P.27の図と同じ場所に「阿波屋旅館 料理」と記されている。地図は『滝宮牛市場沿革史』(所蔵なし)のものを掲載したとされている。
P.299 「横町・本町には昔、三谷屋・敷島・阿波屋・田中屋・三好屋の五軒の宿屋があった」との記載あり。
- 回答プロセス
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自館の所蔵資料を調べた。該当地が図書館の近くであり、道路などそのまま残っているため、現在がどうなっているのか確認しにいった。阿波屋であった所は建物等は建っておらず、アスファルトで舗装された駐車場のような感じになっていた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 四国地方 (218)
- 参考資料
- キーワード
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- 阿波屋
- 滝宮
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000321093