レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20210707
- 登録日時
- 2022/08/18 00:30
- 更新日時
- 2022/08/20 15:20
- 管理番号
- 中央-2022-05
- 質問
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解決
新1万円札の肖像である渋沢栄一と、現1万円札の肖像である福沢諭吉は知り合いだったか。知り合いだった場合、どのような交流があったのか。
- 回答
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渋沢栄一に関する資料、福沢諭吉に関する資料をそれぞれ調べた。
都立図書館蔵書検索、国立国会図書館オンライン(https://ndlonline.ndl.go.jp/)、CiNii Research(https://cir.nii.ac.jp/all)の他、朝日新聞クロスサーチなど都立図書館が契約する新聞・雑誌記事データベース類を<渋沢栄一><福沢諭吉>や渋沢栄一の雅号である<青淵>等の掛け合わせで検索した。
2人の接点について記述の多い資料を紹介する。旧漢字は新漢字に直して記載した。
なお、資料6は都立多摩図書館所蔵資料、それ以外の資料は都立中央図書館所蔵資料である。
また、「国立国会図書館デジタルコレクション」(https://dl.ndl.go.jp/)で情報1はインターネット公開、資料1,2,6-8,10,情報2は図書館・個人送信されている。
資料1 『渋沢栄一伝記資料 第28巻』
p.440-449「第二編 第二部 第七章 第一節 第二款 報国会」
2人が委員を務めた報国会に関する記述がまとまっている。福沢諭吉を含む報国会についての渋沢栄一の談話、資料8『福沢諭吉伝 第3巻』のp.718-729の引用などを収録している。
なお、当該箇所はデジタル版『渋沢栄一伝記資料』として、渋沢栄一記念財団ホームページにてインターネット公開されている。(https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK280059k_text)
(国立国会図書館デジタルコレクション 図書館・個人送信 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3016164 コマ番号:461-470)
資料2 『渋沢栄一伝記資料 第45巻』
p.426「第三編 第一部 第五章 第三節 第十一款 慶応義塾(承前) 竜門雑誌 第四一五号・第七三頁 大正一一月一二月」
「青淵先生の福沢先生観」として、2人の接点等が簡潔にまとまっている。
参考として、p.426-431「[参考]竜門雑誌 第三五三号・第六八-七五頁 大正六年一〇月」が掲載されており、1917(大正6)年10月に刊行された『竜門雑誌』第353号に掲載された渋沢栄一著の記事「福沢先生及び独立自尊論」を再録している。
「維新前には福沢翁を知らず」「福沢翁と余との初対面」「福沢翁と余の協力一致」等、渋沢自身が福沢諭吉との接点について記述している。
なお、当該箇所はデジタル版『渋沢栄一伝記資料』として、渋沢栄一記念財団ホームページにてインターネット公開している。(https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK450166k_text)
(国立国会図書館デジタルコレクション 図書館・個人送信 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2996046 コマ番号:226-229)
情報1 『始て世に出る青年へ』渋沢栄一述 城北書房 1919(都立図書館所蔵なし)
p.221-236「余の観たる福沢翁」は、上記資料2とほぼ同内容の文章である。
(国立国会図書館デジタルコレクション インターネット公開 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/961619 コマ番号:122-130)
資料3 『渋沢栄一を知る事典』
巻末に人名索引が付されており、福沢諭吉は7ヵ所参照されている。(p.323)
例えば、p.65-66「第一部 II (2) 33 東京海上保険」には、「西南戦争後のある日、栄一と福沢諭吉が将棋を指し、それを大隈重信と岩崎弥太郎が観戦するという場で、栄一は海上保険の重要性を説き、会社設立について話をした。」(p.65)という記述がある。
また、p.121-122には「第一部 III (2) 79 福沢諭吉、大隈重信」という項目がある。
資料4 『渋沢栄一92年の生涯 春の巻』
渋沢栄一の秘書による伝記で、『渋沢栄一翁』(1933年刊)の改題である。
p.205-206に、度量衡改正に関して渋沢栄一が福沢諭吉と交渉した際のことが記述されている。
この他に、夏の巻、秋の巻、冬の巻がある。
情報2 『渋沢栄一翁』白石喜太郎著 刀江書院 1933(都立図書館所蔵なし)
資料4の改題前の資料であり、p.153-154は上記資料4で紹介したものとほぼ同内容の文章である。
(国立国会図書館デジタルコレクション 図書館・個人送信 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1876402 コマ番号:104-105)
資料5 『福澤諭吉事典』
巻末に人名索引が付されており、渋沢栄一は6ヵ所参照されている。(巻末p.27)
p.506-507にかけては「渋沢栄一」(井上潤)が項目として立っており、「福沢諭吉との関係はかならずしも密接とはいいがたいが、お互いが実業、文化の発展に尽くした功績を認め合っていた。」(p.506)という記述がある。
また、東京都北区にある渋沢史料館に、福沢諭吉からの書簡(1893年)が収蔵されていることが書かれている。
資料6 『町人諭吉』
p.15-16に福沢諭吉と渋沢栄一が関わった日清戦争の公債募集について記述されている。
また、p.79-80に、度量衡改正に関して渋沢栄一が福沢諭吉を訪ねてきた際のことが記述されている。
(国立国会図書館デジタルコレクション 図書館・個人送信 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1175320 コマ番号:19-20、51-52)
資料7 『小泉信三全集 17』
p.192-204「わが蒔く種 福澤諭吉と澁澤青淵」
「福澤、澁澤両先生の私交については、私はあまり多くの話材を知らないが(後略)」(p.201)としつつ、次に紹介する資料8を引いて、初対面は渋沢栄一が大蔵省に出仕した当時の1870(明治3)年であることや、日清戦争が起こった際の公債募集について触れている。
また、福沢諭吉が、自身が刊行している新聞『時事新報』の社説(資料9)に渋沢栄一を取り上げその真価を認めていたことが記述されている。(p.202-203)
(国立国会図書館デジタルコレクション 図書館・個人送信 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2967806 コマ番号:101-107)
資料8 『福沢諭吉伝 第3巻』
上記資料1,7で紹介されていた資料である。
p.713-729「第三十八編 日清戦争 第六 日清開戦と先生の活躍 軍費醵集の発起」に、日清戦争が起こった際の公債募集について記述がある。
(国立国会図書館デジタルコレクション 図書館・個人送信 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213871 コマ番号:374-382)
資料9 『時事新報』複製版 12巻3号(3644~3695号(明26.5.2~6.30))
p.330「第3679号 明治26年6月11日 p.2 一覚宿昔青雲夢」
上記資料7で記述されている『時事新報』の社説である。
資料10 『福沢諭吉全集 第14巻』
1893(明治26)年3月から1894(明治27)年12月までの『時事新報』の社説と漫言を収録している。
p.73-75「一覚宿昔青雲夢」は、上記資料9とほぼ同内容の文章である。
(国立国会図書館デジタルコレクション 図書館・個人送信 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2941877 コマ番号:50-51)
以下では、福沢諭吉が渋沢栄一に宛てて送った書簡について記載のある資料を紹介する。
資料11 『福沢諭吉書簡総目録』
『福沢諭吉書簡集』(岩波書店刊)の総目録である。
「宛名別一覧」の渋沢栄一の項(p.180)を見ると、福沢諭吉から渋沢栄一に宛てた書簡3通が掲載されている。
それぞれ以下の資料に内容が収録されている。
資料12 『福沢諭吉書簡集 第2巻』
p.122-123「二八四 渋沢栄一 明治十一年ヵ十二月五日」
塾生の高木怡荘を紹介する手紙である。
p.244「三七二 渋沢栄一 明治十二年八月二十九日」
渋沢栄一の王子別荘の新築披露宴招待に応じる旨の返答の手紙である。
資料13 『福沢諭吉書簡集 第7巻』
p.272「一七九五 渋沢栄一 明治二十六年十月三十一日」
ボストン・ヘラルド新聞社主との会席に出席を依頼する手紙である。
資料14 『渋沢栄一伝記資料 別巻 第3』
(国立国会図書館デジタルコレクション 図書館・個人送信 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3007157)
資料15 『渋沢栄一伝記資料 別巻 第4』
(国立国会図書館デジタルコレクション 図書館・個人送信 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3007160)
別巻第3,第4は、渋沢栄一が送った書簡を収録している。目次、宛名人名録を参照したが、福沢諭吉宛の書簡は見出せなかった。
以上、インターネット情報の最終検索日及び最終アクセス日は2022年7月7日。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】渋沢栄一伝記資料 第28巻 / 竜門社編 / 渋沢栄一伝記資料刊行会 / 1959 <2891/S579/S1-28>
- 【資料2】渋沢栄一伝記資料 第45巻 / 竜門社編 / 渋沢栄一伝記資料刊行会 / 1962 <2891/S579/S1-45>
- 【資料3】渋沢栄一を知る事典 / 渋沢栄一記念財団編 / 東京堂出版 / 2012.10 <289.1/シ12/615>
- 【資料4】渋沢栄一92年の生涯 春の巻 / 白石喜太郎著 / 国書刊行会 / 2020.12 <289.1/シ12/639-1>
- 【資料5】福沢諭吉事典(慶応義塾150年史資料集 別巻2) / 福沢諭吉事典編集委員会編集 / 慶応義塾 / 2010.12 <R/289.1/フ6/642>
- 【資料6】町人諭吉 / 太田正孝著 / 宝文館 / 1927 <2891/H826/T>
- 【資料7】小泉信三全集 17 / 小泉信三著 / 文芸春秋 / 1968 <0818/K746/K1-17>
- 【資料8】福沢諭吉伝 第3巻 / 石河幹明著 / 岩波書店 / 1932 <2891/フ6/6-3>
- 【資料9】『時事新報』複製版 12巻3号 (3644~3695号(明26.5.2~6.30)) / 竜渓書舎
- 【資料10】福沢諭吉全集 第14巻 / [福沢諭吉著], 慶応義塾編纂 / 岩波書店 / 1961 <0818/H826/H4-14>
- 【資料11】福沢諭吉書簡総目録(慶應義塾福澤研究センター資料 10) / 慶應義塾福澤研究センター / 2005.3 <R/289.1/フ6/618>
- 【資料12】福沢諭吉書簡集 第2巻 / 福沢諭吉[著], 慶応義塾編 / 岩波書店 / 2001.3 <289.1/フ6/605-2>
- 【資料13】福沢諭吉書簡集 第7巻 / 福沢諭吉[著], 慶応義塾編 / 岩波書店 / 2002.3 <289.1/フ6/605-7>
- 【資料14】渋沢栄一伝記資料 別巻 第3 / 竜門社編 / 竜門社 / 1967 <2891/S579/S1-61>
- 【資料15】渋沢栄一伝記資料 別巻 第4 / 竜門社編 / 竜門社 / 1967 <2891/S579/S1-62>
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- 照会先
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- 1000320005