レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/12/21
- 登録日時
- 2021/06/23 00:30
- 更新日時
- 2021/06/25 11:46
- 管理番号
- 6000006361
- 質問
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解決
安土のセミナリオについて載っている本が読みたい。
- 回答
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セミナリオとは、戦国時代から江戸時代に設立された、日本人聖職者(神父)養成学校のこと。以下の資料に、安土のセミナリオについての記述あり。
『キリシタン遺物の研究』(竹村覚/著 開文社 1964年)によると、
天正七年(1579年)来日した巡察使ヴァリニァーノが、布教状況を視察したうえで、教育、文化、布教の計画を立てた。全国を(a)京都、すなわち機内を中心とした地方、(b)豊後、すなわち二豊と四国・中国の一部、(c)下(しも)、すなわち肥筑地方の三区に分け、各区にセミナリオとコレジオを一校ずつ設けることにした。
セミナリオは、通例、神学校という名称で呼ばれているが、実際は専門教育を施すためではなく、少なくとも設立当初は、中等学校程度の一般教育機関であり、神学や哲学を学習するのに必要な基礎的学課を中心に、ラテン語、ポルトガル語、歴史、数学、音楽、絵画、銅板術、楽器、時計の製造術などを教授する計画であった。(コレジオとは、修道会聖職者養成のためのもので、神学、哲学を中心として、高度の研究がおこなわれた、いわば現在の新制大学にあたるもの。)
天正八年(1580年)にまず有馬(長崎県)のセミナリオ、続いて天正九年(1581年)に安土のセミナリオが開校し、両校とも生徒数は二十数名で、多く上流社会の子弟を収容した。(p122-)
『切支丹風土記 第2 近畿 中国編』(宝文館 1960年)
「近江の切支丹」(助野健太郎/著)の章に、安土のセミナリヨ開設の際のヴァリニァーノと織田信長のやりとりのほか、開校後わずか一年後に本能寺の変のため移動を余儀なくされ、有馬のセミナリヨと合併するまでが記載されている。(p253-258)
『近畿キリシタン史話』(松田毅一/著 中央出版社 1949年)
第六章「安土とキリシタン」にセミナリオについて記述あり。(p88-94)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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キリシタン遺物の研究 竹村覚/著(1964年)
切支丹風土記 第2 近畿 中国編(1960年)
近畿キリシタン史話 松田毅一/著 中央出版社(1949年)
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キリシタン遺物の研究 竹村覚/著(1964年)
- キーワード
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- セミナリオ、セミナリヨ、安土、織田信長、キリシタン、近江、バリニァーノ、バリニヤーノ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 事項
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000300659