レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年09月16日
- 登録日時
- 2019/03/22 16:13
- 更新日時
- 2019/03/22 17:32
- 管理番号
- 横浜市中央2553
- 質問
-
解決
横浜市旭区にある左近山団地の歴史を調べるにはどのような資料があるか。写真もあれば参照したい。
- 回答
-
1 横浜市立図書館所蔵資料には次のような資料があります。
(1)図書・雑誌
ア「調査季報 29」(『調査季報 28号~32号』
横浜市企画調整室都市科学研究室/編 横浜市企画調整室都市科学研究室 1971.12)
p.45~54「左近山団地におけるコミュニティづくり」筒井安忠/著
団地の生活、自治会の立ち上げや運営のエピソードが掲載されています。
横浜市政策局のHPからPDFで閲覧可能
http://www.city.yokohama.lg.jp/seisaku/seisaku/chousa/kihou/29/
イ『横浜市史 Ⅱ 第3巻(下)』 横浜市総務局市史編集室/編 横浜市 2003.07
p.463 「読売新聞」の連載記事「団地」を引用して団地内の医療状況が記載されています。
ウ『いちさわ』 横浜市立市沢小学校/編 横浜市立市沢小学校 1985.3
市沢小学校の学校誌です。左近山団地から市沢小学校への転入生が多かったため校庭にプレ
ハブ校舎が建てられた、との記載があります。
p.48~49 左近山に大きな団地ができ、転校生が毎日のように入ってきたこと、教室が足り
なくなりプレハブ校舎が建てられたこと等が記載されています。
p.146~147 年表に「一九六八(昭和43)市沢町の貫丁(かんちょう)の山をくずして、
左近山団地ができた。」等、左近山団地に関する記載があります。
エ『日本住宅公団20年史』 日本住宅公団20年史刊行委員会/編 日本住宅公団 1975.7
団地一覧表で、左近山団地の居住室数・戸数・家賃・入居年月等が確認できます。
p.356 賃貸住宅の居住室数・戸数・家賃・入居年月
p.381 普通分譲住宅の住宅型式・計画床面積・戸数・入居年月
p.387 特別分譲住宅の住宅型式・計画床面積・戸数・入居年月
オ『旭区郷土史』 旭区郷土史刊行委員会/編 旭区郷土史刊行委員会 1980.4
左近山団地に関連する学校の沿革等が記載されています。
p.476 左近山第一小学校
p.478 左近山第二小学校
p.486 左近山小高小学校
p.493 左近山中学校
カ『〔横浜市立〕左近山第二小学校 記念写真集 1971~2013』
「思い出を語る会」実行委員会 記念写真集編集委員/編 横浜市立左近山第二小学校
2013.2
p.5 左近山第二小学校、左近山第一小学校、左近山小高小学校の3校が統合され、
平成25(2013)年4月1日に、横浜市立左近山小学校として開校することが記載されて
います。
キ『横浜の町名』 横浜市市民局総務部住居表示課/編 横浜市市民局総務部住居表示課
1996.12
p.126 昭和44(1969)年に保土ケ谷区から分区して旭区が新設されたと同時に6つの町の
各一部から左近山が新設されたことがわかります。
また、「町名は字名を採った。昭和四十二年に日本住宅公団が左近山高層住宅建設を始め、
昭和四十三年七月一日に入居を開始した。『新編武藏風土記稿』の「市野沢村」に「小名
左近山」の記録がある。町内に公団左近山団地がある。」と記載があります。
ク『大日本地誌大系 4 新編武蔵風土記稿』 雄山閣 1957.5
p.164~165 市野澤村の項に、小名 左近山の記載があります。
(2)新聞
ア「コラム「団地」」(「読売新聞神奈川版」昭和47年2月9日 p.13、同2月19日 p.13)
1(1)イ『横浜市史 Ⅱ 第3巻(下)』で引用されている記事です。
左近山団地の医療状況が記載されています。
イ「夜の“足”八方ふさがり」(「神奈川新聞」 昭和47年8月17日 p.14)
左近山団地と二俣川駅間の相乗りタクシーの運行が、タクシー会社から拒否された経緯が
記されています。
また、以下のサイトから左近山団地に関する新聞記事を検索することができます。各検索結果
から一例をあげて紹介します。
ウ 神奈川県立図書館 県内記事検索
https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/opac/OPP0200?LANG=ja
神奈川に関する主要な新聞記事のタイトルを検索することができます。
「足奪われ“陸の孤島”旭区の左近山団地、たどり着かない先生、スト休日楽しむパパ族も」
(「神奈川新聞」 1979年4月26日 朝刊 p.12(横浜))など
エ「聞蔵Ⅱビジュアル」(朝日新聞オンライン記事データベース)(有料)
http://database.asahi.com/help/jpn/about.html
「騒音対策に二重窓 左近山団地の分譲住宅 公団ついに折れる」
(1969年9月17日 夕刊 p.10)など
オ「読売新聞 ヨミダス歴史館」(有料)
https://database.yomiuri.co.jp/
「〔ニューだんち〕左近山住宅 分譲が中心10階建てもある」
(1968年1月25日 朝刊 p.23)など
(3)写真
左近山団地の写真には以下のようなものがあります。
ア『日本住宅公団年報 昭和46年版』 日本住宅公団総務部広報課/編
日本住宅公団総務部広報課 1971.02
p.26~27 左近山団地の全景(白黒)
イ『未来へ伝える人・まち・自然 40周年を迎えたあさひ』
旭区誕生40周年記念刊行物編集委員会/編
旭区誕生40周年記念事業実行委員会記念刊行物発行部会 2009.10
p.115 左近山団地の写真(カラー)
ウ『わたしたちの左近山小高 創立20周年記念誌』
創立20周年記念事業実行委員会記念誌部会/編 横浜市立左近山小高小学校
1996.9
口絵 航空写真(カラー)
p.15 周辺(バス停等)(白黒)
p.18 プール公園、その他の公園(白黒)
p.25 屋上からの団地(白黒)
エ 横浜市史資料室 広報課写真資料の紹介-- 団地・宅地開発<1>
http://www.city.yokohama.lg.jp/somu/org/gyosei/sisi/koho/koho-img00101.html
左近山団地の写真が5枚掲載されています。(白黒)
オ『昭和の公団住宅 フォトアーカイブ』 長谷田一平/編 智書房 2015.10
(白黒)
p.79 1974年11月 「負けないぞ」(運動会の綱引きの様子)
p.97 1982年8月 「さすが5000戸のマンモス団地」(夏祭りの様子)
p.168 1975年1月 「みんなで書き初めしました」
カ『横浜市史 Ⅱ 第3巻(下)』 横浜市総務局市史編集室/編 横浜市 2003.07
口絵 「市立市沢小学校左近山分校(旭区)1971年2月」
(プレハブ校舎 白黒)
キ「市民グラフ ヨコハマ」創刊号(『市民グラフヨコハマ No.1-10
(保存版①)』横浜市市民局相談部広報課/編 横浜市市民局相談部広報課
1971-1973)
p.41「プレハブ 間にあわせで教育なんて」という記事があり、左近山第二小学校入学式
の写真が掲載されています。(白黒)
ク『いちさわ』 横浜市立市沢小学校/編 横浜市立市沢小学校 1985.3
p.8~9 市沢小学校から見える左近山団地、第二小、小高小(白黒)
p.113 左近山商店街(白黒)
2 横浜市史資料室所蔵資料
横浜市史資料室は、横浜市に関する、関東大震災の復興期から現代までの資料を所蔵・収集・公開
している機関です。次のような資料を閲覧することができます。
横浜市史資料室 http://www.city.yokohama.lg.jp/somu/org/gyosei/sisi/
(1)「THE KEY」「The New KEY」
日本住宅公団の団地に配られていた新聞です。一部をマイクロフィルムで保存していて、閲覧
できます。「The New KEY」は「THE KEY」の後身です。
以下のような記事があります。
ア「ハイヤーを“深夜の足”に」(「THE KEY」 昭和47年12月17日)
左近山団地と二俣川駅間の相乗りタクシーが打ち切りになった以降、左近山団地自治会連合会
がハイヤーのチャーター制を採用したとの記載があります。
イ「団地↔鶴が峰駅 左近山20年来の要望が実る」
(「The New KEY」昭和63年10月29日)
左近山団地から鶴ヶ峰駅までのバス路線が開通したとの記事です。
ウ「“自治会ハイヤー”が存亡の危機!」(「The New KEY」平成元年4月29日)
二俣川駅から運行する深夜バスがはじまったこともあり、ハイヤーチャーターの赤字が膨らん
だことが書かれています。
また、「団地通信記事目録」や、「公報左近山」(左近山連合自治会が発行していた広報)等を所蔵し
ています。
インターネット情報の最終確認日は2019年2月10日です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 生活.消費者問題 (365 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000253550