伊藤明瑞の足跡については、①河井高明著『伊藤明瑞:明治天皇御前揮毫の書家』(河井高明,1972)の中で詳しくまとめられている。
②『生誕百年記念 明治天皇御前揮毫・天才〈神童〉書家 伊藤明瑞大遺墨展』の中で、元兵庫県知事であった金井元彦氏が伊藤明瑞を「書家伊藤明瑞の名を知る人は現在そう多くはないかもしれない。しかし彼が二才より書道に入り、三才にして経典を読み、四才にして東宮御所に召されて御前揮毫をし、六才の時、明治天皇の御前に於て揮毫をしたと云うことを聞くならば、これこそ神童書家として不出世の人であったと云うことを疑う人はないであろう。」と紹介している。
この他、伊藤明瑞については以下の資料に記述がある。
③竹林史博「明治の神童書家伊藤明瑞探訪」『大法輪』Vol.78.No.9,2011.9 参照はp.46-51
④「寫眞銅版口繪・神童伊藤明瑞肖像及手蹟」『関西教育』1899.2.No.5
⑤『広報はやしま』2014.8.No.1881,34p. 参照はp.33
⑥広島県庁編『広島臨戦地日誌』広島県庁,1899,417p. 参照はp.439-440
龍昌寺住職の竹林史博氏が⑦「≪神童・明瑞≫通信」を編集しており、2017年7月時点で第3号まで発行されている。トピックスは次の通りである。
(1)2015.1.20発行「新発見!明治四十年(明瑞十八歳)の揮毫会案内状」
(2)2016.12.8発行「空白の少年期を埋める貴重文献 新出資料『明瑞13歳の書簡を寄贈して頂き、公開へ」
(3)2017.1.30発行「明瑞、国民英学会に在籍!」
新聞記事は以下の記事で伊藤明瑞の名前を確認することができた。
・「書画大会」(読売新聞1897.3.14朝刊p.5)
・「大日本選書奨励会の宝賞授与式」(読売新聞1897.5.25朝刊p.4)
・「神童伊藤明瑞が法華経普門品の一筆書き」(読売新聞1897.10.14朝刊p.4)
・「よみうり抄」(読売新聞1900.6.28朝刊p.4)
・「皇后の上野行啓 日本画会第3回絵画展覧会と第10回記念選書展覧会へ 」(読売新聞1900.6.30朝刊p.4)
・「よみうり抄」(読売新聞1900.7.26朝刊p.4)
・「よみうり抄」(読売新聞1900.9.16朝刊p.3)
・「風の便り 文墨協会席上での幼年画家中山彩子と依田学海翁の逸話 」(読売新聞1903.4.8朝刊p.4)
・「板垣伯一行の松田男追悼会 備後丸船上にて」(読売新聞1914.3.12朝刊p.3)
・「明治の『神童書家』発掘 龍昌寺住職竹林史博氏」(日本経済新聞2011.9.20朝刊 p.36)
・「知られざる書の神童明石の伊藤明瑞 5歳で免許皆伝 明治天皇も評価」(読売新聞2011.11.18大阪夕刊p.15)
・「知られざる天才書家『伊藤明瑞』紹介 龍昌寺にギャラリー」(山口新聞2012.5.11)
・「伊藤博文らの書公開 きょうから滝川の『華月館』で=北海道」(読売新聞2015.5.24東京朝刊p.30)