レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2001年07月13日
- 登録日時
- 2015/12/19 09:58
- 更新日時
- 2016/07/22 17:02
- 管理番号
- 20151217
- 質問
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解決
頼朝の娘である大姫の墓所はどこか。
- 回答
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大姫の墓所を確定することは出来ませんでした。
①鎌倉市の常楽寺であるという説があります。
しかし、当時の史料、記録では確認できません。
②北条政子が大姫の冥福を祈って「南新御堂」を建立しています。(『大日本史料』)
これは勝長寿院の一角に立てられたもので、勝長寿院と共に今はありません。
勝長寿院が源氏の菩提寺のようなものだったとされています。
③鎌倉市の岩船地蔵堂が、大姫の墓所で、守り本尊を祀っているという言い伝えもありますが、大姫ではなく妹の三幡姫ゆかりではないかと考えられています。(『鎌倉史跡事典』)
- 回答プロセス
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①大姫についての資料を当たる。
②北条政子について書かれた本に、大姫についての記載が多いので、そちらも確認する。
③大日本史料を確認する。
大姫の追善のために南新御堂が建立されたという記事がある。
南新御堂は勝長寿院の一角に建てられた政子晩年の居所。
勝長寿院と共に今はない。
詳細は『鎌倉廃寺事典』(p72~73あたり)、『北条政子 ミネルヴァ日本評伝選』など。
④ネットで検索してみる。「大姫」「墓所」
こちらでは常楽寺がヒットする。
⑤常楽寺、勝長寿院を『鎌倉廃寺事典』『鎌倉市史 社寺編』などで確認する。
常楽寺は『粟船山 常楽寺略記』も見る。
⑤『粟船山 常楽寺略記』では政子が大姫の供養のために建てた仏堂が寺の起りとするが、同時代の記録はない。
「姫宮ノ松」が大姫の墓所とするが、『新編鎌倉志』『鎌倉攬勝考』では「姫宮」を北条泰時の娘の墓とする。
『鎌倉市史 社寺編』では常楽寺の項で一切大姫に触れていない。
⑥以上の情報を提供する。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『大日本史料 第4編之5』 東京大学史料編纂所/編纂 東京大学出版会 1981年 【R 210.08】 建久七年七月十四日条
- 『国史大辞典 2』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1980年 【R 210.03】
- 『鎌倉・室町人名事典』 安田元久/編 新人物往来社 1985年 【k1 281】
- 『北条政子』 関幸彦/著 ミネルヴァ書房 2004年 【k1 289.1ホ】 P17~38 大姫の章
- 『北条政子』 野村育世/著 吉川弘文館 2000年 【K1 289.1ホ】 4-642-05499-5 P30~36 大姫の悲劇
- 『北条政子』 田端泰子/著 人文書院 2003年 【K1 289.1ホ】 P29~34 大姫と志水義高
- 『粟船山常楽寺略記』 生方 直方/著 【K1 188.8】
- 『鎌倉市史 社寺編』 鎌倉市史編纂委員会 吉川弘文館 1972年 【k1 210.1】
- 『新編鎌倉志・鎌倉攬勝考』 蘆田 伊人/編 雄山閣 1958年 【k1 291.37】
- 『鎌倉史跡事典』 奥富敬之/著 新人物往来社 1997年 【k1 291.3】
- 『鎌倉古社寺辞典』 吉川弘文館編集部/編 吉川弘文館 2011年 【k1 175.9】
- 『鎌倉岩船地蔵堂』 三浦勝男/著 神奈川県博物館協会 1974年 【k1 185.9】
- キーワード
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- 大姫 おおひめ
- 北条政子
- 常楽寺 じょうらくじ
- 南新御堂 みなみしんみどう
- 岩船地蔵堂 いわふねじぞうどう
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000185994