レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/12/03
- 登録日時
- 2015/04/13 00:30
- 更新日時
- 2015/04/13 00:30
- 管理番号
- 6001006316
- 質問
-
解決
桃太郎において、なぜ、桃、犬・猿・雉、黍団子であるのかについて書かれた資料を探しています。
- 回答
-
当館の蔵書から、次のものをご紹介します。
●『桃太郎像の変容』(滑川道夫/著 東京書籍 1981.3)請求記号【388.1/92】
「二 桃太郎噺の構成要素」の中で、桃、お供、黍団子について次のように述べられています。
「桃の実」p.47-49
p.47「仙桃伝説が「近古以来民衆にも弘布」(島津)していたから「桃太郎噺」に反映したのだろうという説はしぜんさをもっている。」
※引用者注: (島津)とは、これに先立って紹介された島津久基著『日本国民童話十二講』(日本書院 1944.5)である。
p.47「邪悪な鬼を退治する「桃太郎噺」に、中国伝来の桃の信仰が密着してもふしぜんな形にならないわけである。この仙果が川上から流れてくる。川上は仙郷に近いという想念が働いたものだろう。」
「犬・猿・雉子」p.40-42
p.41「「鬼門」は、鬼が出入するといって忌みきらう方角で、東北(うしとら)の方角である。これは「陰」であって「陽」にあたるのが南西(ひつじさる)の方角である。うしとらに住む鬼を退治するには、対極の「陽」に位置するものでなければならない。そこには、ひつじ・さる・とり・いぬが並んでいる。羊は弱者であるから除かれて、さる・とり・いぬが選ばれる。鳥のなかで雉子がはいったのは、よく闘う鳥とされており、中国では「士」の表象とされていたというし、また、日本特産の国鳥といわれていたからだろう。」
p.42難波金之助の『桃太郎の史実』では「桃太郎の本体を、大吉備津彦命」、「「犬」は随臣の犬養健彦命、「雉子」は鳥飼部の先祖留玉臣命、「猿」は随身楽々森彦命のことではなかろうかと述べている」
「黍団子」p.43-44
p.43-44「なぜ黍が選択されているのか、はっきりしない」とあり、p.44「遠征の艱難にたえしのぶための兵糧であったという解釈もあるが、成立当時の庶民が、ぜいたくな食事のできなかった生活を投影させているのかもしれない」
●『桃太郎の研究』(金田晴正/編輯 公立社書店 1927.11)【219/69/#】
※引用部分は適宜新字体で記載しています。
桃についてはp.11に「桃が割れて中から桃太郎が生れると云ふのは、母体より出生の寓言であることは勿論であるが、「桃太郎評釈」に『桃の実とは胎のこと。「悦んで取上げた」とは胎を受けたること』とある。」「桃を食べて若やぐと云ふのも、媼が桃の夭々たる、花の灼々たるの元気ある若さに返つて桃太郎を生むと中ふ意にも取れやうともある。」と書かれています。
犬、猿、雉については、p.12-13に「桃太郎の話に犬、猿、雉を使つた事にも色々説もあるが、唯山の者と里の者と野の者を取合せたと見てよからう。(中略)そうして猿は面自き者、犬は愛らしき者、雉は美しき者として、童幼の愛好し熟知するところのものである。」とあり、「亦猿、犬、雉は三徳乃ち智仁勇にも擬せられて居る。」とあります。
●『桃太郎と太閤さん : 「鬼退治伝説」の誕生』(前田晴人/著 新人物往来社 2012.1)【388.1/658N】
桃について、「第一章 桃太郎の世界」の「4 「桃太郎」神話の特質」の中で、以下のように述べられています。
p.35「桃太郎を宿した聖なる桃は川上から流れ下ってきた。桃は清らかな水源にあると想定された桃源郷からやってきたのである。「桃太郎」の作者は間違いなく神仙思想を熟知し、愛好している人物で、この世のどこかに仙界があり、聖なる桃の実は神仙世界のものだと主張しているように思われる。」
また、「第二章 桃と鬼の祭儀神話」の「1 「桃」の聖性と呪力」の中で、
イザナキ命が黄泉比良坂で追撃の軍勢に桃子三個を投げると軍勢が逃げ去った。そこでイザナキ命が桃子に人間が苦しんでいたら助けるよう告げ、オホカムヅミ命と名づけた。
という『古事記』神代巻の話を挙げ、p.55「イザナキ命は桃子に対して、人間が苦悩するときには助力するようにと教え告げたというが、「桃太郎」が鬼退治をするというストーリーは、このイザナキ命の桃子への告知をストレートに実現したかのような内容になっている。鬼の悪行は人間世界にさまざまな混乱と困難を引き起こしたからである。おそらく「桃太郎」の作者は、『古事記』神代巻の当話の存在を知りつくしており、日本古代神話の応用課題という形で、かの「桃太郎」像を編みだしたといえるのではあるまいか。」と述べています。
黍団子について、「第一章 桃太郎の世界」の「4 「桃太郎」神話の特質」の中で、以下のように述べられています。
p.37-38「中国では、紀元前の時代から黍が「五穀の長」であるとする観念があり、それが当話にも反映している可能性がある。」
p.38「黍団子はそれを摂取した者に霊力を与える食べ物であると同時に、土地の豊かな生産力そのものを表現しているのではないかと考えられる。」
また、「第三章 吉備津宮の鬼退治神話」の中で、「大吉備津彦命の鬼征伐神話」と「桃太郎」は無関係な話だが、「桃太郎」の作者が影響を受けたであろうと述べ、一部つながる要素として、黍団子と犬について書かれています。
p.113「犬のこと」の中に、以下のような記述があります。
p.113「周知のように、「桃太郎」には「従者」である犬が出てくる。一方の吉備津の神話に登場する「犬飼武」は大吉備津彦の「部下」としてはなはだ印象深い脇役であり、もし仮に、「桃太郎」の作者が吉備津宮の神官の犬養氏と親交の関係にでもなれば、(中略)当地における犬養氏の歴史的な由緒が理解されたであろう。「桃太郎」の作者は吉備津宮に行く機会をもち、そのときに「犬飼武」の役割を脳裏に刻みつけ、それがのちに「桃太郎」の犬として、装いも新たに復活したのではなかろうか。」
p.114-116「黍団子のこと」の中に、以下のような記述があります。
p.116「黍団子の起源は吉備津宮発の神饌だということになるだろう。「桃太郎」の黍団子はやはりたんなる地方農民の食物ではなく、独自の歴史的由来を有する神饌、神供だったのである。御釜殿の地下深くに埋納された鬼首の鎮祭に用いられた霊力豊かな黍団子、これが桃太郎とその「従者」らの食べ物となり、鬼ヶ島を制圧するさいに偉大な霊力を発揮したものと推定される。」
●瀧川 政次郎 「桃太郎のお伴をした犬・猿・雉」『日本上古史研究』3(9)<33>(日本上古史研究会 1959.9.1)【P21/109N】
※引用部分は適宜新字体で記載しています。
p.159-162
元の話は雉ではなく、鶏ではないかと述べた上で、「牛馬と共に、犬・猿・鶏を食つてはならないという禁令が出たのは、天武天皇の四年」で「古代の禁忌思想と佛教思想とによつて発せられた天武四年の禁令は、その後ながら国民の思想に影響し、犬・猿・鶏の三種は、これを殺してはならないものと考えられるに至つたと思う。人が犬・猿・鶏に対して害意を懐かなければ、犬・猿・鶏もまた人に対して害意を懐かず、人が困つたときには助けてくれるものと信ずることができる。多くの動物報恩譚は、このような人間の心理から生れたものである。犬・猿・鶏が桃太郎の鬼ヶ島征伐に加勢するという話は、こんなところから出たものではあるまいか。」と述べられています。
●また、ご参考までに国立国会図書館「レファレンス協同データベース」の類似の事例もご紹介しておきます。
「昔話の桃太郎に出てくる家来はなぜ犬、猿、キジなのか。(事例作成日:1999/02/28)」新潟県立図書館(2014/12/3現在)
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000025929
[事例作成日: 2014年12月3日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 伝説.民話[昔話] (388 8版)
- 参考資料
-
- 桃太郎像の変容 滑川/道夫∥著 東京書籍 (40-42,43-44,47-49)
- 桃太郎の研究 金田/晴正∥編輯 公立社書店 (11,12-13)
- 桃太郎と太閤さん 前田/晴人∥著 新人物往来社 (35,37-38,55,113,114-116)
- 日本上古史研究 日本上古史研究会 日本上古史研究会 3(1-12)<25-36> 3巻総目次 (3(9)<33> 159-162)
- https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000025929 (国立国会図書館レファレンス協同データベース「昔話の桃太郎に出てくる家来はなぜ犬、猿、キジなのか。(事例作成日:1999/02/28)」新潟県立図書館(2014/12/3現在))
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000170765