レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/12/01
- 登録日時
- 2015/01/16 00:30
- 更新日時
- 2015/01/17 08:48
- 管理番号
- 滋2014-0076
- 質問
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解決
魚類のヒガイには「鰉」という漢字が当てられている。その理由として、明治天皇が琵琶湖産のヒガイを好んで食べたことと関係があると聞いた。詳しい経緯を知りたい。
- 回答
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『湖国びわ湖の魚たち』、『滋賀県』によりますと、経緯は下記の通りです。
1 明治23年(1890)年4月9日、明治天皇が琵琶湖疏水の開通式に出席したおり、滋賀県庁で昼食をとった。この時現在の大津市瀬田の礒田清右衛門が献上した瀬田川のヒガイを食べて、たいへん気に入り、東京への帰還後ヒガイを取り寄せるように度々宮内省大膳職に命じた。
2 明治天皇の下命があると礒田清右衛門は、地元の商店から取り寄せた多数の生きたヒガイを数名の漁夫とともに汽車で東京に運んだが、のちには氷を詰めた箱で送るようになった。下命は1カ月に3~4回に及ぶこともあった。
3 ヒガイに文字がないため、明治29年(1896)秋に礒田清右衛門が、2度目の滋賀県知事となった籠手田安定を訪ね、「鰉」の文字を当てることを進言して了承を得た。以来この文字を使用するようになった。ただし、『瀬田(名勝・史跡・人物)』では、礒田清右衛門から宮内省に申請したと記載されています。
4 礒田清右衛門は明治45年(1912)1月に死去したが、墓碑には「礒田鰉翁之墓」と刻まれた。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
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- 1 湖国びわ湖の魚たち 滋賀県立琵琶湖文化館∥編 第一法規 1991年 S-4800- 91 p.50-51
- 2 滋賀県 徳永真一郎∥編 昌平社 1982年 S-2000- 82 p.184-185
- 3 瀬田(名勝・史跡・人物) 瀬田町 1944年 5-2911- 44 p.11-12
- キーワード
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- ヒガイ
- 鰉
- 明治天皇
- 礒田清右衛門
- 籠手田安定
- 琵琶湖疏水
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000166213