レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年11月29日
- 登録日時
- 2014/09/26 18:12
- 更新日時
- 2016/04/26 10:48
- 管理番号
- 県立長野-14-002
- 質問
-
解決
千曲市から飯山市に向う国道403号線を「谷街道」というが、なぜそういうのかその由来を知りたい。
- 回答
-
以下の内容を紹介した。
『角川日本地名大辞典20長野県』の「谷街道」の項には次の記述がある。
「善光寺街道の稲荷山宿から新潟県十日町に至る街道。稲荷山宿を起点に、矢代―川田―綿内―井上―須坂―小布施―中野に至り、ここから千曲川右岸に沿い、綱切で左岸に渡り、飯山から千曲川の峡谷に沿って十日町に至る。狭義には飯山から十日町までを谷街道という。(中略)谷街道とは、明治になってから長野県が名付けた名称である。」
『飯山市誌 歴史編 上』p703~704「谷街道西通り」の項には次の記述がある。
「宝暦13年(1763)の『千曲之真砂』には善光寺から越後小千谷にいたる道筋をつぎのとおりしるしている。(中略)善光寺より谷通り越後国魚沼郡江出る道(中略)飯山より(中略)右へ行くは谷通りなり、(中略)飯山より森へ出る迄は川を右に見て行き、両方岸高く川つぼみ、谷の如し、仍って谷通りというなり」
『長野県史 近代史料編 第7巻 交通・通信』p149「明治19年11月 県令土工条規規定国県道一覧」に同年同月11日付けで長野県知事名で定めた、土工条規第1条 道路之部に、「第壱号県道谷街道」の名称とその区間が記載されている。
- 回答プロセス
-
①『長野県広域・詳細道路地図』16、21、22、27の各図で国道403号線の位置を確認。「谷街道」と記載あり。
②『角川日本地名大辞典20長野県』p708に「谷街道」の項あり。狭義には飯山から十日町までを谷街道といい、明治になってから長野県が名付けた名称であることがわかる。これを紹介。
③『長野県史 近代史料編 第7巻 交通・通信』で長野県が名づけたという出典を探す。
p149(明治19)とp158(明治26)から「県令土工条規」の史料の掲載があり、「県道谷街道」と記載あり。明治19年の史料を紹介。この時点で質問 者からは何故この国道は平地なのに谷なのかと聞かれ、地形に由来する記述を更に探すことにする。
④『日本歴史地名大系20長野県の地名』『信州学大全』『飯山市誌 歴史編 上』をみる。
『日本歴史地名大系20長野県の地名』p24「谷筋道」の項に「谷街道」ともいうとあり。
『飯山市誌 歴史編 上』p698から「谷街道と越後道」の項があり、「谷街道」には東通りと西通りがあることがわかる。
西通りについてp703~704に『千曲之真砂』からの引用で回答欄の記述あり。『新編信濃史料叢書 第9巻』所収の『千曲之真砂』(瀬下敬忠著)で
該当部分を確認後、『飯山市誌 歴史編 上』p703~704の記述を紹介。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291)
- 参考資料
-
- 『角川日本地名大辞典20長野県』角川書店 1990[N293/18]
- 『飯山市誌 歴史編 上』飯山市・飯山市誌編修委員会 1993[N211/48/2-1]
- 『長野県史 近代史料編 第7巻 交通・通信』長野県史刊行会 1981[N209/11-1/7]
- 『新編信濃史料叢書 第9巻』信濃史料刊行会 1973[N208/43/9]
- 『日本歴史地名大系20長野県の地名』平凡社 1979[N290.3/54]
- キーワード
-
- 谷街道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000160259