レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年09月20日
- 登録日時
- 2014/09/11 11:50
- 更新日時
- 2014/09/11 11:50
- 管理番号
- tr334
- 質問
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解決
日光東照宮には徳川家康・源頼朝・豊臣秀吉が祀られていると聞いた。豊臣秀吉は、いつ、どのような経緯で祀られることになったのか知りたい。
- 回答
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日光東照宮に豊臣秀吉が祀られていることについて、記載があった資料をご紹介します。
・『栃木県神社誌 神乃森 人の道』(栃木県神社庁/編、発行 2006)
p.189-207が、「東照宮」の記述です。確かにこちらに「配神 豊臣秀吉公 源頼朝卿」との記述があります。
このことについて、「由緒沿革」の中に「明治六年六月九日、東照宮は別格官幣社に加列し、(略)御祭神については、相殿神として源頼朝卿・豊臣秀吉公が配祀された。」との記載があります(p.192)。
・『日光東照宮』(矢島清文/著 社会思想研究会出版部 1961)
p.18-19「だれをまつってあるか」の項に、「東照宮創建の時は、山王神、摩多羅(まだら)神を左右にまつったが、明治の神仏分離により、現在は家康公のほか、源頼朝卿と、豊臣秀吉公をあわせてまつっている。」とあります。
・高藤晴俊/著「日光東照宮の信仰について」
(『山岳宗教史研究叢書 8 日光山と関東の修験道』(名著出版 1979)p.133-150)
祭神について、「今日では東照宮の主祭神は徳川家康であり、配祀神として、左神(神前に向かって右)豊臣秀吉、右神(神前に向かって左)源頼朝が祀られている。これは明治維新後祭神の変更があって後のことである。維新以前は、左神は山王神、右神は摩多羅神であった。」とあり(p.142) 、天海の説く「山王一実神道」が配祀の理由と述べられています。
また、「明治に至り、山王神が豊臣秀吉に、摩多羅神が源頼朝へと祭神変更があったが、これについても明治以前より、山王は秀吉、摩多羅神は頼朝であるとの説があることはすでに額賀宮司が指摘しているところである」とも述べられており(p.143)、この記述の出典に『日光』(淡交新社 1961)が挙げられています。
・額賀大興/著「東照宮のなりたち」
(『日光 その美術と歴史』(岡田譲/〔ほか〕著 淡交新社 1961)p.194-218所収)
上記、高藤氏の引用中に挙げられた『日光』がこちらです。
p.210-212「祭神とまつり」の項に、明治以前に配祀神であった山王権現と摩多羅神が、明治以後に秀吉と頼朝となった経緯について、「従来、その変遷の説明は山王権現と秀吉、摩多羅神と頼朝との関連性や性格を述べ、神仏分離の際の止むを得ない措置であったという程度を出ていない。しかるに(略)天保10年(1839)八月の写本「葵御紋考」に 日光三社大権現 中央東照大権現 左山王権現 秀吉公 右摩多羅神 信長公と記してあり(後略)」と述べられています(p.211)。
- 回答プロセス
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日光東照宮が主題の資料を中心に調査した。
- 事前調査事項
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『全国神社名鑑』(三浦譲/編 全国神社名鑑刊行会史学センター 1977)に、祭神として豊臣秀吉が記載されていた。
- NDC
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- 祭祀 (176)
- 参考資料
- キーワード
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- 豊臣秀吉
- 日光東照宮
- 祭神
- 徳川家康
- 源頼朝
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000159631