レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年4月20日
- 登録日時
- 2014/05/12 12:02
- 更新日時
- 2014/11/29 10:55
- 管理番号
- 長野市立長野-14-005
- 質問
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未解決
「信濃町誌」の雲龍寺の記載ついて、
①黒姫山で延文年間1356年~1360年に起きた地すべりについて
②明暦元年1655年五輪堂より赤渋地籍へ移転、改築とあるが、五輪堂の場所はどこか
③治承二年1178年、山の中腹道端へ移転。当時、越後より戸隠へ善光寺へと通ずる国道が山の中腹を通っていたとあるがこのころ(平安末期)の古地図を見たい、知りたい。
- 回答
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①民話に昔に山崩れがあったというものがあるが、年代はわからない。
長野県に関する年表などをみても、特にその時代に地すべりがあったという記述を見つけられなかった。
②「五輪堂遺跡」について、『柏原町区誌』135pに場所についての記載、および128pに「柏原地区の遺跡分布」ということで簡単な地図あり。
③治承二年(平安末期ごろ)の地図はなし。
江戸時代になってからのもので、
『復刻北国街道分間絵図』(高田~善光寺)や
『信濃の東山道』「地図-推定東山道道筋-」(支道が野尻湖周辺を通る形での善光寺~関山)というものがある。
また、地図はなく記述のみになるが『信濃町誌』「沼辺駅」92p、「北国街道ができるまで」161pに延喜式での道についてあり。
- 回答プロセス
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①まず、『信濃史料』『長野県史』『上水内郡史』を確認、これといった記述なし。
ネットなどで確認するとそれをモチーフにしたと思しき民話を確認。
資料をあたってみると、『信濃町の民話』に「黒姫弁財天」「浄専坊の宝剣」の民話を確認。
しかし、年代の記述がないのでいつの時代の出来事かはわからない。
ただ、「黒姫弁財天」は『信濃町誌』の「雲龍寺」の項、「浄専坊の宝剣」は「仁之倉神社」の項と大部分が一致しているのでこのときのことがもとになっていると思われる。
②五輪堂の場所については、「五輪堂遺跡」というものがあるそうなのでそのことと思われる。
③治承二年の道の地図については、所蔵なし。(やはり、江戸時代になってからの北国街道の地図の資料が古いものとなる)
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『信濃町誌』信濃町誌編纂委員会 信濃町誌編纂委員会 1968年 ‹N212シ›
- 『信濃町の民話』かたかご童話会 信濃町 1996年 ‹N388シ›
- 『柏原町区誌』柏原町区 1988年 ‹N212カ›
- 『復刻北国街道分間絵図 上巻』 郷土出版社 1998年 <N210フ1>
- 『信濃の東山道』長野県文化財保護協会 2005年 ‹N682シ›
- キーワード
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- 信濃町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000153175