■事典を確認する
『世界大百科事典 2 2009年改訂新版 アレネ-イワ』(平凡社 2009年)p249に項目あり。
違式詿違条例とは、明治初年における軽微な犯罪を取り締まる単行の刑罰法。1872(明治5)年11月8日の東京府達(たっし)をもって、同月13日から施行された東京違式詿違条例が最初。翌年7月19日の太政官布告により各地方違式詿違条例が制定され、各地方にも公布・施行されることとなった。90条からなり、風俗・交通・衛生・営業・用水等日常的秩序維持に関わる軽微な犯罪と処罰を規定。
『日本史大事典 1 あ〜お』(平凡社 1992年)p388に項目あり。
条例は、五人組法や東京府達として出されていた諸々の禁令をもとに制定されたもの。施行に際して戸長(こちょう)あてに出された達には、違式とは「オキテヲソムク」、詿違とは「アヤマツテオキテヲソムク」ことと注されているとのこと。
*参考文献に、”小木新造他編『風俗・性』日本近代思想体系23、岩波書店1990年”とあるが当館未所蔵(福岡県立図書館所蔵あり)、また”神谷力「地方違式詿違条例の施行と運用の実態」(手塚豊教授退職記念論文集編集委員会編『明治法制史政治史の諸問題』慶応通信1977年)”も当館未所蔵のため未確認。
『国史大辞典 1 あ-い』p518に項目あり。
上記2冊と内容は重なる。*参考文献に”石井良助編『明治文化史』二”とあるが当館未所蔵。
『コンサイス法律学用語辞典』p29に項目あり。
■社会学関連を確認する
『ワザと身体の民俗学』(礫川 全次/編 批評社 2008年)p33~
違式詿違条例は、入墨禁止、裸体・肩脱ぎ・股(もも)の露出の禁止、立小便の禁止などの「身体」に関わる規定が多く、外国人の眼を意識したものであったが、当時の庶民の生活を大きく制約し、それに対する反発も少なくなかった。条文の内容は、府県毎に若干の相違がある。この条例は1880(明治13)年に旧刑法の違刑罪にその役割を譲り、違刑罪の内容はその後、警察犯処罰令(1908年公布)を経て軽犯罪法(1948年公布)に引き継がれている、とある。
『三くだり半の世界とその周縁』(青木 美智男・森 謙二/編 日本経済評論社 2012年)
第4章「法」に関わった西村兼文―「勧解」書類と『京都府違式詿違條例図解 全』―に、違式詿違条例は当時の人々には難解なものであったため、法の理解を容易にするため図解することが全国各地で流行し、錦絵風のものや一枚刷りのものなどが存在するとある。実例として5冊からそれぞれ図解の一部を紹介。同じ条文についての比較や解説もある。章末の注釈では参考文献を多数紹介している。
■福岡関連を確認する
『福岡県地域史研究 1984年版』(西日本文化協会)p25~
藤本俊史著「福岡県における地方条例としての違式詿違条例―本松文書を中心として―」に違式詿違条例が旧福岡県に布達されたのは明治7(1874)年8月、施行時期は「史料が乏しく不明」とある。明治7年8月福岡県布達の違式詿違条例の条文全文があり、その後の明治9年12月に改正された条例との条文比較、および地方違式詿違条例との比較も掲載されている。
■マイクロフィルム
当館所蔵のマイクロフィルム資料の中にも、「違式詿違条例」やそれに類する資料が28件あった。(マイクロフィルム資料は、当館WEBOPACや館内OPACでは検索出来ません。詳細はお尋ねください)
■インターネット
国立国会図書館近代デジタルライブラリーで「違式詿違条例」と検索すると多数ヒット。「違式」と検索すると違式詿違条例に類する資料もヒットした。原資料が画像で確認できる。
**レファレンス協同データベースで”違式詿違条例”を検索すると同様の事例があった。**