レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/03/31
- 登録日時
- 2011/04/23 02:00
- 更新日時
- 2011/05/23 14:05
- 管理番号
- 1000000347
- 質問
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解決
読谷村波平はなぜ“ハンジャ”と読むか。
- 回答
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『沖縄県の地名』(平凡社 2002年)p381「波平村」の項には「・・・ハンジャとよばれる。絵図郷村帳・琉球国高究帳では「はびら村」とみえ・・・」とある。
また、『沖縄語辞典』(国立国語研究所編 大蔵省印刷局 1963年)の付録「地名一覧」p827には「波平 hanza 島尻-兼城間切、島尻-摩文仁間切、中頭-読谷間切」とあり、「波平」という地名はいずれも同様に発音することがわかる。
『沖縄古語辞典』(角川書店、1995年)p548「はびら 波平」の項には「『はびら』は『波平』と宛て、方言ではハンジャという」とある。
歴史的には「はびら」と発音していたことから、はびら⇒はんじゃ へと音韻が変化したものと思われる。
キーワード「波平」「ハンジャ」でインターネット検索。下記資料がみつかる。
狩俣繁久「琉球語と地名研究の可能性(2)」(『歴史地名通信50号』p6~11、平凡社、2005年)
※初出雑誌は当館所蔵なし。インターネットサイト「歴史地名ジャーナル」上に内容が公開されている。http://www.japanknowledge.com/contents/journal/howtoread/howto_06_1.html(2011年3月18日現在)
その冒頭の部分で読谷村波平のハビラの「ビ」が後続する音を破擦音化させ、「そのあとで、ビは撥音になるので、ハビラからハンジャとなるのは自然な変化」としている。
関連する資料として以下のものがある。
『読谷村民話集9 波平の民話』(読谷村教育委員会 歴史民俗資料館、読谷村教育委員会、1989年) 「波平部落の概況」(名嘉真 宜勝著)に以下の記述あり。
「波平部落の名が文献に登場して来るのは、一六四九年に編集された『絵図郷村帳』で、それには「はびら村」と表記され、『琉球国高究帳』(一六七三年以前に編集)にも同じく「はびら村」の名で出ている。『街当国御高並諸上納里積記』(一六八〇年~)や『琉球国由来記』(一七一三年)には、現在使用している「波平」の漢字が当てられるようになった。行政上の読み方は「なみひら」であるが、方言では「はんじゃ」である。
『沖縄地名考』(宮城真治、名護市教育委員会、1988年)「羽地という地名の本義に就いて」の文中
p108~109に、波平(ハンヂャ)という字名が読谷山村と兼城村にあり、「読谷山の波平は…水に恵まれた所である。…この付近が未だ開拓せられなかった頃は、今の水田となっている谷間は清き小川をなしていたものであろう。従って、波平という名称もこれに基づき、「走イ川」(ハイカ―)とか「走イ水」(ハイミヂ)とかの義で名づけられたのではなかろうか。」との記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 角川日本地名大辞典 47 角川日本地名大辞典編纂委員会∥編 角川学芸出版 2009.9 K29/KA14/
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2 沖縄語辞典 国立国語研究所∥編 大蔵省印刷局 1963.8 K80/KO49/ -
3 沖縄古語大辞典 沖縄古語大辞典編集委員会∥編 角川書店 1995.7 K80/O52/ 548 -
4 波平の民話 読谷村教育委員会 読谷村教育委員会 1989.3 K388/Y81/9 -
5 沖縄地名考 宮城 真治∥著 名護市教育委員会 1988.3 K29/MI73/ 108-109
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000085380