『広島県史』には風船爆弾に関する記述はなし。
当館所蔵の郷土資料で風船爆弾について記述があるのは次のとおり。
『毒ガス 創立30周年記念誌』(大久野島毒瓦斯傷害者互助会 昭和55)【H36/O562ア】
p87~89 「互助会創立三十周年を迎えて思い出を語る 村本幾男」
*元工員の方の手記で,風船爆弾の製造に触れた文章がある。
『大久野島・動員学徒の語り』(岡田黎子/著作・発行 1989)【H996/オカレ89ア】
p15~22
*気球本体になる原紙の製造から気球の塗装仕上げまでを描いたイラストと説明文が
ある。
『記録にない島(毒ガス島歴史研究所会報第3号)』(毒ガス島歴史研究所 1996.11.30)
【H55.32/トクカ1/V.3ア】
p2~19「加害の日本「毒ガス島」大久野島 岡田黎子さん」
*p7~9 資料(2)の資料と同じイラストですが説明が少し異なる。
『地図から消された島 大久野島毒ガス工場』(武田英子/著,ドメス出版 1987)
【H55.32/タケエ87ア】
p133~179 「Ⅳ 毒ガスから風船爆弾へ」
『毒ガス島の歴史《大久野島》 第二版』(村上初一//編集,発行 平成8)【H55.32/ムラハ92ア】
p42 「風船爆弾」
『ひろしま歳時記』(田中康夫/著。創生社 平成5)【H38/タナヤ93】
p88~89 「地図にない島」
*大久野島で風船爆弾を製造していたということのみ記述がある。
このほか,風船爆弾製造に動員されていた学校の記念誌等も調査したが,風船爆弾に関する記述
はなし。
調査済みの学校誌:忠海中学校,忠海高等女学校,瀬戸田高校,忠海高校