レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/05/13
- 登録日時
- 2009/05/14 02:10
- 更新日時
- 2009/05/14 09:09
- 管理番号
- O2008M0065
- 質問
-
解決
中国・清時代の乾隆帝(高帝)の后であった女性全員と、17名の子供(女性も含む)全員の名がわかる資料はあるか。
なお、17名の子供があったことは、『アジア歴史事典3』(平凡社、1960)p.180.の「乾隆帝」の項目から判明。
- 回答
-
おたずねの乾隆帝(高宗)の后妃および子どもの名については、下記の資料に掲載
されています。
1.『中国帝王皇后親王公主世系録』中国友誼出版公司、1985(当館請求記号GE223-C1)
・后…pp514-516
乾隆帝の后妃19人について、後宮での名、姓名、出身、親族の名、婚姻年齢および没
年齢、没年、子女、備考が表形式で記載されています。子女の欄は、男子13名(うち「早
殤」1名)のみが記載されています。
なお、「殤」という字の意味については、『大漢和辞典. 巻6』修訂第2版(大修館書
店、1989.9 当館請求記号KF4-E18)p.759によると、「殤 1.わかじに。二十歳に達
しないで死ぬ。2.謚」とあります。
・男子…pp726-728
前述の早世した1名を除く12名の名が、その子孫とともに記載されています。
・女子…pp834-835
10名中5名について、生母、封号、姓名、夫、夫の職位、婚姻年、没年、没年齢が記載
されています。他の5名は生母、没年、没年齢のみが記載されており、没年齢を見ると早
世していることがわかります。
2.『愛新覚羅宗譜』甲一(学苑出版社、1998.9 当館請求記号GE223-C44)
目録表p.4に男子十七子が列挙してあります。第九子、第十子、第十六子は「未有名」
とあります。
3.『清史稿校注』第10冊(国史館、1988 当館請求記号GE295-C27)
「巻二百二十八 列伝八 諸王七」pp7845-7846に、「高宗十七子」として生母別に男
子の名前が列挙してあります。第九子、第十子、第十六子については「殤」とあり、具
体的な名前が記されていません。
「巻二百二十一 列伝一 后妃」pp7681-7685には乾隆帝の后についての記述があり、
それぞれが生んだ子どもについても記されています。ここでは、第九子、第十子、第十
六子は「殤、未命名」とあります。また、女子についても、前述の1.『中国帝王皇后
親王公主世系録』(当館請求記号GE223-C1)に封号が記載されていなかった5名につい
ては、ともに「殤」とあります。
なお、回答中の漢字は、全て日本漢字に改めてあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
『中国歴代王朝秘史事典』(河出書房、1999)
『中国歴代皇帝人物事典』(河出書房、1999)
『世界帝王系図集 増補版』(東京堂、2001)
『世界歴代統治者名辞典』(東洋書林、2001)
『新訂 世界歴代王朝王名総覧』(東洋書林、1998)
を調べましたが、最も詳しかったのは
『最後の公爵 愛新覚羅恒煦』(朝日新聞社、1996)
の系図でした。
国立国会図書館レファレンス共同データベース(管理番号O2006M0355)回答で挙げられている
『中国帝王皇后親王公主世系録』
『中国歴代帝王録』
『中国歴代帝王辞典』などなら、掲載されているのではないかと思い、国立国会図書館のNDL-OPAC検索を行いましたがヒットしませんでした。
- NDC
-
- 中国 (222 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 清時代
- 高宗(1711-1799 清)
- 后妃
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 公共図書館
- 登録番号
- 1000054814