レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/6/10
- 登録日時
- 2006/09/14 02:10
- 更新日時
- 2008/03/30 12:57
- 管理番号
- 埼熊‐2006‐027
- 質問
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解決
『日本書記』白雉5年(654)4月条に、吐火羅国の男2人・女2人が舎衛の女1人とともに日向に漂着したとの記述がある。この男女が、その後どうなったのかを知りたい。
- 回答
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『日本書紀』には、質問にある654年の他にも、657年に吐火羅国の男女6人が筑紫に漂着したとの記述が見られる。『古代史研究の世界』および『ペルシア文化渡来考』では、日向漂着の5人と筑紫漂着の6人はもともと同じ一行であったとして、これらの人々のその後について考察している。概要は以下のとおり。
①筑紫に漂着した吐火羅国の男女は、大和朝廷に召された。
②舎衛の女は吐火羅人と結婚して舎衛婦人となり、大和朝廷に召された。
③舎衛の女と結婚した吐火羅人は、妻を残して本国に帰った。
なお、〈吐火羅・舎衛〉に関する『日本書記』の記述は、上記以外にも、659年・660年・676年に見られる。
『宮崎県史 通史編 古代2』p182には、「養老職員令玄蕃寮条に頭の職掌としてみえる「在京夷狄」の具体例として、大宝令の注釈書であり738年に成立した「古記」は、吐火羅・舎衛をあげている。・・・吐火羅人は8世紀初めまで生存していた可能性があり・・・」との記述が見られる。
以上を紹介する。
- 回答プロセス
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『国史大事典』〈吐火羅・舎衛〉の項にあがっている参考文献、宮崎県の歴史に関する資料にあたった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 九州地方 (219 9版)
- 参考資料
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- 『ペルシア文化渡来考』(伊藤義教 岩波書店 1980)
- 『古代史研究の世界』(佐藤和彦 新人物往来社 1989)
- 『国史大系 1 下 日本書紀 新訂増補版』
- 『宮崎県史 通史編 古代2』
- キーワード
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- 吐火羅
- 舎衛
- 古代史-日本
- 日向国-宮崎県-歴史
- 史料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000030548