レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2004年5月20日
- 登録日時
- 2004/12/09 12:01
- 更新日時
- 2005/12/09 13:23
- 管理番号
- 地-04-6
- 質問
-
未解決
津藩士で、上野彦馬と交流があり、我が国の写真術の草分けとなった人物「堀江鍬次郎(ほりえ・くわじろう)」について記載がある資料の所蔵を調べてほしい。またこの人物について詳しい郷土の研究家などがいれば紹介してほしい。
- 回答
-
堀江鍬次郎のみを単独で取り上げた資料は見つからなかったが、津市の広報紙『津市政だより』に昭和46年4月1日号から連載されている「歴史散歩」の中に堀江に関する記述があった。
・昭和48年7月16日号(第328号)「54 写真と堀江鍬次郎(公粛)」 (『津市政だより 昭和48年総集版』収録)
・昭和58年6月1日号(第565号)「192 津の初期写真家たち」(『津市政だより 昭和58年総集版』収録)
これらの資料によると堀江鍬次郎(公粛 こうしゅく)は安政年間に藩から長崎に派遣され舎密(せりみ)学を蘭医ポンペに学んだ。ポンペが写真機を持っていたが使いこなせず、興味を持った堀江と上野彦馬が苦心して暗函や薬品を作り写すことが出来たという。後に堀江は帰郷し藩校有造館で舎密学を講じたが慶応2年(1866)35歳で亡くなった。
なお「歴史散歩」は津市のHPでも見ることができ、そちらでは堀江の墓の写真も掲載されている。
その他記述があった資料は次の通り。
『写真の開祖 上野彦馬』(産業能率短期大学出版部 1975) p24に顔写真と解説文
『評伝上野彦馬』(武蔵野書房 1993) p73、p83、p95~96
堀江と上野彦馬が関わった書物として『舎密必携』(前篇1.2.3)があるが、当館では未所蔵である。
研究家は見つけることができなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
-
- 堀江鍬次郎
- 写真術
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000012803