レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2025年02月06日
- 登録日時
- 2025/02/06 15:17
- 更新日時
- 2025/03/05 09:57
- 提供館
- 福井県文書館 (9000002)
- 管理番号
- 2024-017
- 質問
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解決
『足羽県地理誌』の村落の距離の記載で「県下へ○丁」等の記載があるが、起点はどこなのか。
足羽県編『足羽県地理誌』(明治06年)(国立公文書館デジタルアーカイブにて20/180コマの 「下四ツ居村」で【里程:縣下へ13丁】以降、最後の第16区「境村」【里程:縣下へ11丁,以下省略】 178/180コマに至るまで【縣下】と記載されている。
- 回答
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『足羽県地誌』の時期の起点について、明確に記した資料は見当たりませんでした。
江戸時代には、『福井県史』、および『図説福井県史』にありますように、九十九橋北詰が起点とされていたようです。『新修福井市史1』によりますと、明治42年に、道路元標がこの場所に建てられたようです。
『足羽県地誌』は、明治5年、陸軍省、第七十二号(4月24日)(『法令全書 明治5年』より)を受けて作成されたもので、その指令には、「城郭城址地方管庁ノ所在、幷街市村落人烟稠密ノ所ハ経緯ノ度数及距離方向」とあります。つまりこの時、起点・元標に関しては詳しい規定はありません。
ついで、法令全書(明治8年)「皇国地誌編輯例則」には、「某県庁(所管ノ県庁)ヨリ何方幾里、(中略)但し里數ハ、元標ヲ明記スヘシ」とあります。つまり、どこの地点間の距離であるかを明記するように明文化されています。例えば、これを受けた明治13年の『石川郡村誌』では、元標の場所も明記されているようです。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 北陸地方 (214 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 福井県
- 明治時代
- デジタルアーカイブ福井
- 皇国地誌
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000362761