レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2025/02/02 17:56
- 更新日時
- 2025/02/26 17:17
- 管理番号
- 2021-23
- 質問
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➀明智光秀と泉大津のかかわりについて知りたい
②南出村について知りたい(一橋徳川家が治めていたという話がある)
③「三好助松丸」という人物の泉大津とのつながりについて知りたい
- 回答
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以下の資料を提供
①明智光秀と泉大津のかかわりについて知りたい
【書籍】
「泉大津市年代記」K21.1 (11919383)P.83~84 ※但し、真偽の保証は出来ないとの記述がある
「泉大津市関係文献資料集」K20.1(11919410) P.105、125、151
「大阪府全志」K21.0(11919603) P.517 ※泉大津市関係文献資料集と同様の記述
②南出村について知りたい(一橋徳川家が治めていたという話がある)
【書籍】
「日本國誌資料叢書 和泉」K29.4(11920795) P.8
「角川地名大辞典 大阪府」291.0(112666144)P.1171
「高石市史 第1巻」K21.3(11923162) P.585~586
「高石市史 第3巻」K21.3(11917857) P.47~49
「泉州一橋領知の下掛屋」K20.3(11910811) P.4、40
③「三好助松丸」という人物の泉大津とのつながりについて知りたい
【書籍】
「郷土史跡を訪ねて」K29.1(11926484) No.118 名前の由来について記述あり
「泉大津の地名 付小字図」K29.1(119383446) P.50 村の地名
「角川日本地名大辞典 27大阪府」(112666144) P.655 すけまつの項
「泉大津市年代記」K21.1(11917172)P.69
- 回答プロセス
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郷土資料、2類の歴史、地名、伝記の書架をブラウジングして調査
➀明智光秀とゆかりがあると言われている「蓮正寺(れんしょうじ」と「光秀寺(こうしゅうじ)」について調査。
光秀寺は昭和50年に高石市千代田に移転している。移転前は助松にあった。
以下の資料に、光秀との関わりについて記述有り。
【書籍】
「泉大津市年代記」K21.1 (11919383)P.83~84 ※但し、真偽の保証は出来ないとの記述がある
「泉大津市関係文献資料集」K20.1(11919410) P.105、125、151
「大阪府全志」K21.0(11919603) P.517 ※泉大津市関係文献資料集と同様の記述
2類の「明智光秀」「本能寺」がタイトルに含まれる資料および「その時歴史が動いた」、
郷土資料「泉大津風土記 古代・中世編」「泉大津風景百選」「大津町誌」「泉大津市史第1巻下(本文編2)」
「高石市史 第1巻」も確認したが記述なし
②南出村について(一橋徳川家が治めていたか)
【書籍】
「日本國誌資料叢書 和泉」K29.4(11920795) P.8
「角川地名大辞典 大阪府」291.0(112666144)P.1171
「高石市史 第1巻」K21.3(11923162) P.585~586
「高石市史 第3巻」K21.3(11917857) P.47~49
「泉州一橋領知の下掛屋」K20.3(11910811) P.4、40
「泉大津市の地名」K29.1(119383446)には記述なし
③「三好助松丸」という人物と泉大津とのつながりについて
【書籍】
「郷土史跡を訪ねて」K29.1(11926484) No.118 名前の由来について記述あり
「泉大津の地名 付小字図」K29.1(119383446) P.50 村の地名
「角川日本地名大辞典 27大阪府」(112666144) P.655 すけまつの項
「泉大津市年代記」K21.1(11917172)P.69
「和泉(日本国誌資料叢書)」(11920795)、「大阪府全志 巻之五」には記述なし
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 10版)
- 日本 (291 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 泉大津市--歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000362520