レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/05/25
- 登録日時
- 2025/01/10 00:34
- 更新日時
- 2025/01/10 00:34
- 管理番号
- DR20241000040
- 質問
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解決
広報なりたで連載していたゆかりの人物で、「本多元俊」(長沼の医師)が掲載されていた。掲載されていた広報なりたの記事をコピーしたい。また、本多元俊について書かれている資料を探している。
- 回答
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広報なりた平成13(2001)年9月1日号の「成田ゆかりの人物伝(14)【川辺音治郎】」の記事に、「音治郎が師と仰いだ長沼の本多玄俊医師、またその師の大原幽学の先祖株組合をたたえ、…」との記載があった。本多元俊の著書『我が家の歴史,翁の逸話』があり、提供した。また、大原幽学の弟子であることが判明したため、大原幽学関連の資料を提供した。『成田市域における大原幽学の研究』p.11-p.18「六 何時頃幽学は成田へ来たか」「七 長沼組学頭本多元俊」「八 長沼周辺の教化と門人たち」の項目に本多元俊についての記述がある。『成田市史,中世・近世編』「三 大原幽学と成田」p.821-p.824「成田での幽学」の項目に本多元俊の記述がある。また、『成田市史,近世編史料集 3』p.44-p.49「大原幽学」の項目に、「〔一八五〕は…長沼村の医師本多元俊に宛てた幽学の書状である。本多元俊について幽学は、四千人に及ぶ門人のうちでも、五指に入る優れた人物であると激賞している。」との記述がある。『成田ゆかりの人物伝』p.98-106「大原幽学」の項目に、「幽学が現在の成田市荒海、長沼周辺に来たのは、天保三年頃と言われる。長沼村の医師・本多元俊を訪れたのが機縁となって、…。…文献に見る成田での最初の幽学の足取りである。」との記述がある。また同項目に「荒海村の南端、字鳥打の高台には、…教導所が建立されている(学頭は高弟・本多元俊であった)」との記述がある。
- 回答プロセス
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広報なりたに掲載されている記事とのことだったため、市史の広報なりたのデータベースで調査したが、ヒットしなかった。そのため、広報の現物を直接調査した。また、成田市関連の資料から、調査を行い、大原幽学の弟子であることなどが判明したため、そちらの調査も行った。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『成田市域における大原幽学の研究』 大野 政治著 1952
- 『成田市史,中世・近世編』 成田市史編さん委員会‖編集 成田市 1986 213.5
- 『我が家の歴史,翁の逸話』 本多元俊/[著] [伊藤修一] 2002 288.3
- 『成田ゆかりの人物伝』 小川国彦/著 平原社 2002.10 281.35
- 広報なりた 平成13(2001)年9月1日号 成田ゆかりの人物伝(14)川辺音次郎 https://www.city.narita.chiba.jp/content/000020691.pdf (2024/05/25)
- キーワード
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- 本多元俊
- 本多玄俊
- 大原幽学
- 先祖株組合
- 医療組合
- 長沼
- 医師
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 地域(成田)
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000361653