レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/02/17
- 登録日時
- 2025/01/10 00:34
- 更新日時
- 2025/01/10 00:34
- 管理番号
- DR20241000010
- 質問
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解決
明治19年に東京師範学校の生徒が銚子まで歩いて長途遠足をしたと記録があり、これは日本で初めての修学旅行と言われている。『大日本教育会雑誌(30)』p.46-p.63「東京師範學校生徒長途遠足」(『東京茗渓会雑誌(39)』p.26-p.33「東京師範學校生徒長途遠足報告」にも同内様の記述あり。)には、その途中2月19日に、一部の生徒と先生が、現成田市の新妻、荒海、西大須賀にあったと思われる3つの小学校に立ち寄ったと記録があり、その所在地を調べている。明治19年当時の新妻小学校、荒海小学校、西大須賀小学校の所在地を知りたい。
- 回答
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西大須賀小学校については、『心,滑河小学校閉校記念誌』p.14「滑河小学校沿革」の項目に「明治8年1月24日 西大須賀昌福寺内に第10番小学西大須賀学校として設立」と記載がある。昌福寺は現在も西大須賀にあり、成田警察署滑川駐在所近くに学校跡地の石碑がある。荒海小学校については『成田の地名と歴史』p.68「大字の歩み 荒海」の項目に、「1882年、荒海小学校が設立され、1908年に久住尋常高等小学校の荒海分教場となった。」と記載があり、同ページ上部の地図に「荒海共同利用施設(久住尋常高等小学校荒海分教場跡)」と記載があり、現在の荒海共同利用施設に荒海小学校があったことがわかる。新妻小学校については、『成田市史,近代編史料集 2 教育1』p.164「中郷地区」の項目に「中郷尋常小学校沿革誌」があり、「明治二十年学校創立 従来設置ノ新妻、赤荻、下金山ノ三小学校ハ・・・」と記載がある。『中郷小学校此処にありき-中郷小学校124年の歩み-』p.79に「中郷小学校の沿革 学校跡を訪ねる」の項目があり、「新妻学校跡地(花蔵院跡)」と写真があり、現在の新妻共同利用施設と思われる写真が掲載されている。 このことから、西大須賀小学校は、現在の西大須賀昌福寺に、荒海小学校は現在の荒海共同利用施設に、新妻小学校は、現在の新妻共同利用施設に所在があったと思われる。この3つの小学校は、現在の水掛街道沿いにあり、修学旅行中に立ち寄ったという記述とも一致する。
- 回答プロセス
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『成田市史』、『成田の地名と歴史』にあたり、各学校について調査を行った。その上で、現存する小学校の記念誌などから沿革等を調査し、判明した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 10版)
- 参考資料
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- 『成田の地名と歴史』 大字別地域の事典編集委員会(成田市立図書館)‖編集 成田市 2011.3 291.35
- 『心,,滑河小学校閉校記念誌 』 成田市立滑河小学校統合記念事業実行委員会記念誌班‖編集 成田市立滑河小学校統合記念事業実行委員会 2014.3 376.28
- 『成田市史,近代編史料集 2』 成田市史編さん委員会‖編集 成田市 1978 213.5
- 『中郷小学校此処にありき,,中郷小学校124年のあゆみ 』 中郷小学校統合検討委員会記念事業部会/編集 中郷小学校統合検討委員会 2011.3 376.28
- 国立国会図書館デジタルコレクション『大日本教育会雑誌 (30)』『大日本教育会雑誌(30)』「東京師範學校生徒長途遠足」p.46-63 https://dl.ndl.go.jp/pid/1569036/1/26 (2024/05/04)
- 国立国会図書館デジタルコレクション『東京茗渓会雑誌(39)』「東京師範學校生徒長途遠足報告」p.26~33 https://dl.ndl.go.jp/pid/1572401/1/17 (2024/05/04)
- 国立国会図書館デジタルコレクション『週刊教育資料 (202)(332)』「修学旅行という名称」p.2 https://dl.ndl.go.jp/pid/7965721 (2024/05/04)
- キーワード
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- 西大須賀小学校
- 荒海小学校
- 新妻小学校
- 東京師範学校(現筑波大学)
- 長途遠足
- 修学旅行
- 東京高等師範学校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 地域(成田)
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000361652