レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年03月26日
- 登録日時
- 2024/09/28 14:43
- 更新日時
- 2024/11/05 08:58
- 管理番号
- 中央-1-0021756
- 質問
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解決
「翻訳された文章が自分の文体を創造するのに有効である」と、3人の作家、日高敏隆、丸谷才一、大岡信が言っているらしい。そのことが書かれている本を見つけてほしい。なければ作家の翻訳論が載っている資料が見たい。
- 回答
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回答プロセスにある○印をつけた資料を紹介した。
- 回答プロセス
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●所蔵資料を3人の作家名で検索する。
○801.7『私の翻訳図書館』鈴木主税/編
p13-50 「翻訳ということ(対談)」中野好夫/大岡信
p167-171 「翻訳で学ぶ」日高敏隆
p225-242 「未来の日本語のために」丸谷才一
質問者の挙げた作家3名のエッセイ、評論等が含まれており、翻訳について論じられたもの。
○『文章読本 改版』丸谷才一/著 中央公論新社 1999年
p223-284「第九章 文体とレトリック」
大岡昇平の『野火』とシェイクスピアを比較しながらレトリックついて述べている。
○『日本語そして言葉-丸谷才一対談集-』丸谷才一/著者代表 集英社 1984年
p139-185「翻訳と文体」大岡昇平 丸谷才一
p151 丸谷「すると、小説を訳して小説を勉強なすったということはないわけですね。」
大岡「そうもいえますね」
丸谷「ところが、小説を訳すことによって小説を勉強したというのが、僕の体験なんですよ。徒弟時代……」
というくだりがある。これ以上の詳しい記述はないが、質問に近いことを話している。
○『丸谷才一批評集 第6巻 日本語で生きる』丸谷才一/著 文芸春秋 1996年
p41-58「未来の日本語のために」
p53「現代日本には文体が失はれてゐるといふ現実をかくにんすることからはじめねばならぬ。-略-東西の古典に親しむことが必要だらうし、その際、東西の古典に見られる言ひまわしを安直に文章に応用するのではなくて、いわば古典の文体を感じとり、学び、そして新しい文体を作りあげることが重要なのは言ふまでもあるまい。」
○『言葉あるいは日本語 丸谷才一対談集』丸谷才一/著 構想社 1979年
p56-144大野晋と丸谷才一の対談集
p56 大野「小説を先に書いていらしたのか、翻訳を先にされていたのか、そこは知らないんですけど、丸谷さんが日本語をみるのと、お書きになるのと、そのふたつの事の底には、ジョイスの『ユリシーズ』の翻訳が横たわっているな、ということを非常に感じました。」
p101 丸谷「大体わたしの小説の書き方がイギリス小説の真似で、批評の書き方もイギリスの批評を勉強したもので、我流に影響を受けたという感じが非常に強いのですが、私の文体をつくるのに大きく作用したのは、イギリスの現代小説を翻訳したことだと思うんですよ。ジョイスとかグリーンとか、ああいうものを訳しながら自分の文体を作ったと思うんです。」
×『書物の達人丸谷才一』菅野昭正/編 川本三郎/著 湯川豊/著 岡野弘彦/著 鹿島茂/著 関容子/著 集英社 2014年
●インターネットを‘3人の作家名 翻訳’で検索する。
・「村上春樹が「エッセイ執筆より楽しい」と話すこと」(毎日新聞デジタル2023年9月30日経済プレミアの有料記事)
https://mainichi.jp/premier/business/articles/20230925/biz/00m/020/003000c (2024.9.28最終確認)
以下の文章あり。
「作家の丸谷才一(2012年死去)がこんなことを話してくれたことがある。あれは丸谷がアイルランド出身の作家、ジョイスの「若い藝術家の肖像」を新しく訳して、私がインタビューした時だから、09年のことだ。
「私は先輩作家の小説を筆写して自分の文体を磨くということをやったことがないのです。英語の小説を訳すことで、小説の勉強をしました」
かつては志賀直哉をはじめ、先行作家の文章を自ら写して、文章の呼吸を学んだり、文体の要諦(ようてい)を体感したりする文学修業が盛んに行われた。しかし、英文学者でもある丸谷は英語の小説を翻訳しながら、自分の小説の方法を作っていったというのだ。」
また、『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』のまえがきで、村上春樹が似たようなことを書いていることが述べられている。
○『村上春樹翻訳<ほとんど>全仕事』村上春樹/著 中央公論新社 2017年
p8-9「もうひとつ重要なことは、これまでの人生において、僕には小説の師もいなければ、文学仲間みたいなものもいなかったということだ。だから自分一人で、独力で小説の書き方を身につけてこなくてはならなかった。自分なりの文体を、ほとんどゼロから作り上げてこなくてはならなかった。そして結果的に(あくまで結果的にだが)、優れたテキストを翻訳することが僕にとっての「文章修行」というか、「文学行脚」の意味あいを帯びることになった。翻訳の作業を通して、僕は文章の書き方を学び、小説の書き方を学んでいった。」
●Googleブックスで‘作家 翻訳’を検索する。
×『大岡信著作集 13』大岡信/著 青土社 1978年
p252~ 詩の翻訳が不可能かについての話題 関係ない
p365 詩の訳の話題が出てくるが関係ない
×『大岡信著作集 15』大岡信/著 青土社 1977年
p295~ 「古典を訳する」あまり関係ない
p383~ 『ピカソのピカソ』を翻訳したことが冒頭に書かれているが関係ない
●所蔵資料を「件名:翻訳文学」で検索する。
○『文豪の翻訳力 近現代日本の作家翻訳 谷崎潤一郎から村上春樹まで』井上健/著 武田ランダムハウスジャパン 2011年
p29「立派な翻訳はあくまで強烈な文学創造の精神からうまれねばならぬと僕の申す所以であります。即ち鷗外や二葉亭の翻訳の到底及びがたい偉さは、彼等が翻訳という仕事によって明治のあたらしい小説の文体を決定した点ではないでしょうか。」
p35「日本の近代作家たちにとって翻案や翻訳はしばしば、テーマや着想を借用する機会である以上に、小説の筆法を学び、自らの叙法や文体を確立するための、言うなれば作家修業の場であったのである。」
p73「すでに述べたように、我が国の近代口語文は、翻訳文の影響下で自己形成してきた。」
○『翻訳文学の視界 近現代日本文化の変容と翻訳』井上健/編 思文閣出版 2012年
p85-118「文学の翻訳から翻訳文学へ」
p85「外国文学の翻訳が、来るべき時代の小説の書法や文体に大きく影響していく仕組みについて、言い換えれば、「文学の翻訳」が「翻訳文学」として機能して、次代の新文学生成に寄与していく経緯について-略-」
×『翻訳家たちの挑戦』澤田直/編 坂井セシル/編 多和田葉子/[ほか著] 水声社 2019年
×『日本人の「翻訳」 言語資本の形成をめぐって』亀井秀雄/著 岩波書店 2014年
×『翻訳とはなにか 日本語と翻訳文化』柳父章/著 法政大学出版局 2003年
○『翻訳』雑誌「文学」編集部/編 岩波書店 1982年
P203-216 中村真一郎「翻訳の文学的意味について」
p209「同じことは二葉亭四迷のロシア小説の翻訳にも見られる。彼がトゥルゲーニュフの文体を日本語でなぞった試みは、それまでわが国には存在しなかった近代小説というものの手本を見せてくれただけでなく、日本で同じようなジャンルの仕事をするために必要な新しい文体の見本をも示してくれたのである。」
p210「鷗外は-略-小説のなかで、主人公は思想を追求することが可能となっただけでなく、同じ文体で論文も書くことができることになった。-略-鷗外はその西洋語の教養から得た西洋的思考の表現を、漢文の文体に置きかえることに成功したのである。」
p212「より端的に翻訳そのものに倣って、作家が自分の文体を作り出すという場合のあることも忘れてはならない。」
- 事前調査事項
- NDC
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- 言語学 (801 10版)
- 日本文学 (910 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 日高敏隆
- 丸谷才一
- 大岡信
- 翻訳論
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000356000