レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年10月31日
- 登録日時
- 2024/02/14 13:16
- 更新日時
- 2024/03/24 08:48
- 提供館
- 福井県文書館 (9000002)
- 管理番号
- 2023-019
- 質問
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解決
一乗谷朝倉氏遺跡博物館にて『福井県史 資料編6 中・近世四』 899−900頁に収録されている「鳥居景近・高橋景業連署状」(「西野次郎兵衛家文書」)を紹介しているキャプションにて「「義景が敦賀に在陣した元亀2年(1571)の文書と考えられ」る」とあった。
(1) この資料が「元亀二年」のものと推定されている理由が知りたい。
(2) あわせて、義景が敦賀に在陣したという根拠史料等があれば教えてほしい。
- 回答
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(1) 元亀2年とする根拠は、『福井県史資料編6 中・近世四』の900頁の65号文書「立神重珎書状」(元亀3年)に「去年之御意之御折紙」を鳥居景近・高橋景業に見せたなどとあることによる(66号文書も関連文書)。
(2) この連署状は、今泉浦の主張する「当津江上下御用之時無御舟候而者迷惑之旨」を披露した結果、これを朝倉氏側が受け入れ、舟御用の軽減を認める内容かと思われる。ここに「当津江」とあり、この「津」は敦賀津を指すものと解釈していると考えられる。越前では「津」といえば敦賀津のことを指し、三国は「三国湊」と呼称する。鳥居景近・高橋景業は奏者衆で朝倉義景の側近であり、義景の敦賀在陣がここから窺われる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 北陸地方 (214 9版)
- 参考資料
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- 福井県(1987)「福井県史. 資料編 6 (中・近世 4 武生市・今立郡・南条郡)」 (国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9540472)
- キーワード
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- 福井県文書館
- 朝倉義景
- 戦国時代
- 越前
- 敦賀
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000346284