1 足立区公式ホームページにあたる
〈空襲〉で検索しヒットした中から「「足立区東京大空襲犠牲者追悼式」を実施しました」(公開日2023年4月20日)を見る。
「78年前に空襲があったと同じ日に特に被害の大きかった千住地域(生涯学習センター)で追悼式を実施した」とあり。(
https://www.city.adachi.tokyo.jp/somu/chiikibunka/kuminsanka/tokyodaikusyu-tsuitou.html 最終アクセス日 2023年8月27日)
関連リンクの「東京大空襲の記憶」には『新修足立区史』下巻より引用の「東京空襲(昭和19年11月から昭和20年8月)における犠牲者数」の記載あり。(
https://www.city.adachi.tokyo.jp/somu/chiikibunka/kuminsanka/tokyo-daikusyu.html 最終アクセス日2023年8月27日)
「こちらの記事も読まれています」から「区政90周年記念企画 語り継ぐ-あだちの戦争-」(2022年8月8日公開)の「区内や疎開の地で戦争を体験した方々」の記事では「あだち広報8月10日号」紙面のインタビューでは載せきれなかった方々の話を紹介していた。(
https://www.city.adachi.tokyo.jp/pickup/kataritsugu.html 最終アクセス日 2023年8月27日)
2 広報誌「あだち広報」2022年8月10日号で4月の空襲について確認する。
p.6~p.7に「戦争を体験した足立区在住の4人にお話を伺いました」の記事があり、このうち3人の方が4月13日の空襲について語っている。
3 足立区の資料にあたる
【資料1】「第12章 災害史」の「第2節 戦災の記録 1空襲と被害」
p.1066「東京都戦争被害統計表」に足立区の死亡333、重症256、軽症229、合計818とあり。
p.1069~1073「2 区内の被害」は足立区に関係あるものを主として日を追って記載されている。4月13・14日の空襲の記述では「(前略)足立区では3月10日よりこの時の方が被害が大きく(中略)罹災戸数18,590戸、罹災者65,770名、足立区役所、税務署、農林倉庫、大和毛織、千寿国民学校、千寿第二国民学校、同第六国民学校、同第七国民学校が失われた」とあり。
p.1073からの「東京都空襲日記表」では、空襲年月日、機種と機数、被害地区、被害概略がわかる。。
p.1083に区内の被害がわかる「爆撃による被害地域分布図」あり。
『足立風土記稿』地区編5梅島 p.62「空襲」に「(前略)足立区でもっとも被害が大きく罹災者55,000名を出した4月13日~14日の空襲で(後略)」とあり。「本項『足立区郷土博物館紀要』第17号所載情報による」とあった。
4 『足立区郷土博物館紀要』にあたる
「第17号」p.22からの「足立区域の空襲について 基礎データの整理から」(多田文雄著)には「足立区域の空襲一覧」「足立区の空襲回数」「被害地域と被害規模」「空襲被災地の分布概念図」あり。p.32「むすびにかえて」には、足立区には1942(昭和17)年のドーリットル空襲から終戦直前の1945(昭和20)年8月10日まで計14回の空襲があったこと、被害地域はほぼ全域に広がったこと、65,000人以上が罹災したこと、これらの空襲は東京を目標とした大規模空襲の一部であり、一部単独の攻撃が加えられたことによったことなどの記述があった。