レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/05/30
- 登録日時
- 2023/06/16 00:30
- 更新日時
- 2023/06/16 00:30
- 管理番号
- 台東区-10652
- 質問
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解決
①安政六年の上野不忍池付近の地図(C-2、P54。『安政六年 分間江戸大江図 完』)で、現在の暗闇坂(清水坂)経路が青線となっている。水路のようであるが、この青線は何を示しているのか知りたい。
②仮に水路であるとすれば、どこからどこまで(不忍池に注いでいると思われるが)流れているか知りたい。
- 回答
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①色の意味を明記した地図、この度は『明治二年己巳年改正東京大絵図』(以下、『東京大絵図』)を紹介する。この『東京大絵図』では、青色は「御堀 並 川」を示したものと記されており、問題の箇所には『安政六年分間江戸大絵図』(以下、『分間大絵図』)と同じく青線が引かれている。この例から『分間大絵図』における青線が「御堀 並 川」を意味するとは言い切れないが、少なくとも道沿いに「堀」または「川」があったらしいことが確認できる。
②『分間大絵図』ほか、該当経路に青線がある古地図の多くが、寺領に沿って線を引き、かつ谷中天王寺あたりで途絶えている。これが寺域の境を画す堀なのか、境界沿いを流れる川・水路なのか、文献的な裏付けを見付けだすことはできなかった。ただ『東叡山円頓院寛永寺上野』(幕末の寛永寺の絵図)では谷中口前の道の寛永寺側が青く塗られており、それは川や水路ではなく、堀のように見うけられる。
③『古地図のひみつ』(114930027)P58に、解説対象が尾張屋版切絵図であるが、「堀や川は青色で表記された」ことが記されている。
④≪東京国立博物館 画像検索≫で「寛永寺」を検索すると数点の寛永寺地図がヒットするが、その内の2点――画像番号:C0057449(明治時代)、C0070139(江戸時代中期)どちらも同じ図像――に寛永寺の寺領を囲む道沿いが青く彩色されている。おそらく堀と思われる。
⑤須賀一『上野寛永寺』(113619233 ほか)P100 に「寛永寺境内図(天明年間)」が掲載されており、モノクロのため明確ではないが、寺域を廻る道沿いに堀らしきものが確認される。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『明治二年己巳年改正東京大絵図』
- 『東叡山円頓院寛永寺上野』
- 『明治二年己巳年改正東京大絵図』 https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2542996/1/1
- 『東叡山円頓院寛永寺上野』 https://adeac.jp/taito-lib/iiif/mp071720-100070/2022_chi_001/uv#?c=0&m=0&s=0&cv=0&r=0&xywh=-3293%2C-449%2C14430%2C8975
- 『東叡山寛永寺地図』画像番号:C0057449(明治時代) https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0057449
- 『東叡山寛永寺地図』画像番号:C0070139(江戸時代中期) https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0070139
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- その他
- 内容種別
- 郷土 地図
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000334562