レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年08月08日
- 登録日時
- 2021/12/15 12:40
- 更新日時
- 2023/12/02 15:58
- 管理番号
- 福島地域0364
- 質問
-
解決
1.松平忠弘(奥平松平家・下総守)が、白河藩の藩主時代(1681~1692年)(天和元年から元禄5年)の家臣の名簿(分限帳や侍帳といわれる)、またその代用になる家臣の名前が記された城下町の絵図などを調査希望します。
2.元禄5年の「白河騒動」(孫と婿の跡継ぎ争い)で負けた側の 松平忠尚の白河新田藩・桑折藩の分限帳や代用になる資料があったら知りたいです。
3.元禄5年の「白河騒動」の詳細な資料も併せて調査希望します。
(2023/12/2:備考欄に追記)
- 回答
-
お問い合わせいただきました件について、下記の通りお調べいたしました。
1.松平忠弘(奥平松平家・下総守)が、白河藩の藩主時代(1681~1692年)(天和元年から元禄5年)の家臣の名簿(分限帳や侍帳といわれる)、またその代用になる家臣の名前が記された城下町の絵図など
当館所蔵資料には、松平忠弘の白河藩主時代の家臣録等は見つかりませんでしたが、下記の資料に、該当すると思われる史料の所在についての記載がありましたのでご紹介します。
(1)『特別企画展 白河藩主 七家二十一代』 白河市歴史民俗資料館 2019
pp.33-36 徳川一門の大名 松平(奥平)家
p.36「白川分限帳」の図版(1枚)と解説が掲載されています。所蔵は「行田市郷土博物館蔵」とあり。
解説には「松平忠弘が、白河藩主の時代の家臣を記した帳簿である。馬廻一番組から一〇番組までの番士と家老、番頭、用人、小姓頭などの上級家臣を中心に三七〇名の家臣名と役職、石高が記されている。」とあり。
(2)『図説白河の歴史』 井上 國夫/ほか編 郷土出版社 2000
pp.118-119 松平(奥平)忠弘の世継ぎ問題
「奥平家の白河分限帳(埼玉県行田市・行田市郷土博物館蔵)」の図版(2枚)あり
この分限帳の翻刻が収録されている資料もお探ししましたが、見つけられませんでした。
また、行田市郷土博物館の発行資料として下記の資料もあるようです。当館に所蔵がなく関連する記載があるかどうか確認できておりませんが、参考までご紹介します。埼玉県立図書館、行田市立図書館には所蔵があるようです。
『松平下総守と家臣団』 行田市郷土博物館/編 行田市郷土博物館 1997
2.元禄5年の「白河騒動」(孫と婿の跡継ぎ争い)で負けた側の 松平忠尚の白河新田藩・桑折藩の分限帳や代用になる資料
こちらについては、記載のある資料は見つけられませんでした。
調査した資料は(1)~(10)のほか、下部に記載しました【確認済み資料】の通りです。
3.元禄5年の「白河騒動」の詳細な資料
比較的詳しい記載のあった資料は下記の通りです。
(3)『白河市史 第2巻 通史編2近世』 白河市 2006
第三編 第三章 松平(元奥平)忠弘時代
第三節 松平(元奥平)家騒動と処分(pp.281-285)
「奥平家騒動記」(下記の資料(4)に収録)、『土芥寇讎記』、『徳川実紀』を引用して記述あり
(4)『白河市史 第6巻 資料編3近世1』 白河市 1989
pp.323-326「八五 年未詳白河藩主奥平家騒動記(抄)」
資料(抄)の翻刻と、p.326に解説あり。原本は『白河城主奥平家騒動記全』東京大学史料編纂所蔵 とあり。
pp.366-367「九四 元禄五年十月 松平下総守御所替につき委細書付」
解説に「元禄五年(一六九二)八月、城主松平下総守忠弘は藩治不行届により五万石の減封の上、山形へ転封することになった。資料はその年の十月、白河城を幕府に引き渡す時の覚書であり、城郭、家中屋敷件数、石高、村数、寺社数、人口、町屋敷などの大概を書き記してある。」とあり。
原本は『候家編年録附録、楞伽院君御事蹟追考』行田市郷土博物館蔵 とあり。
そのほか下記の記載もあり。
pp.132-135「五〇 松平下総守忠弘年譜」(『新訂寛政重修諸家譜』第一所収 続群書類従完成会刊)、
pp.135-137「五一 元禄三年 松平下総守忠弘調書」(金井圓校訂『土芥寇讎記』第十二巻所収 新人物往来社刊)
(5)『桑折町史 第1巻 通史編1 原始・古代・中世・近世 1』 桑折町史編纂委員会/編 桑折町史出版委員会 2002
第4編Ⅱ 第4節 譜代桑折藩の成立とその支配
一 桑折藩主松平氏の出自 (一)白河における松平忠尚と御家騒動(pp.611-613)
『土芥寇讎記』、『徳川実紀』を引用して記述あり
(6)『三百藩家臣人名事典 第2巻』 家臣人名事典編纂委員会/編 新人物往来社 1988
pp.120-121「奥平金弥」
文献は『白河故事考』『白河市史』『土芥寇讎記』
そのほか下記の資料にも若干の記載がありました。
(7)『福島県史 第3巻 通史編 近世2』 福島県 1970
pp.422-424 奥平氏の治世
pp.1076-1081 譜代桑折藩の成立と幕領岡陣屋の創置
(8)『白河市史 中』 白河市史編さん委員会/編 白河市教育委員会 1971
※国立国会図書館デジタルコレクション送信参加館公開資料(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9569421)
pp.55-62 第五章 奥平(松平)時代の白河
(9)『藩史大事典 第1巻 北海道・東北編』 木村礎/〔ほか〕編 雄山閣出版 1988
pp.235-253「白河藩」
p.254「白河新田藩」
pp.278-279「桑折藩」
(10)『白河藩(シリーズ藩物語 別巻)』 植村 美洋/著 現代書館 2021
pp.75-77 奥平騒動(延宝の家中騒動)
(11)『新編物語藩史 第2巻 東北・北関東地方の諸藩』 新人物往来社 1976
pp.201-202 松平忠弘とお家騒動
その他、下記の資料も確認しましたが、記載は見つかりませんでした。
【確認済み資料】
『白河城下 町絵図調査報告書 企画展』 白河市歴史民俗資料館 2003
『小峰城絵図の世界 白河市歴史民俗資料館企画展』 白河市歴史民俗資料館 2011
※城絵図、城下町の絵図の図版が掲載されていますが、どちらも該当年代の絵図は含まれていませんでした。
『福島県史 第8巻 資料編 近世資料1』 福島県 1965
※白河藩を収録
『福島県史 第9巻 資料編 近世資料2』 福島県 1965
※桑折藩を収録
『福島県史 第2巻 通史編 近世1』 福島県 1971
『桑折町史 第6巻 資料編3 近世史料』 桑折町史編纂委員会/編 桑折町史出版委員会 1992
※国立国会図書館デジタルコレクション送信参加館公開資料(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9644649)
pp.36-38「六九 松平家譜(抄)」(『寛政重修諸家譜』巻五一)
「忠尚」から記載
『桑折町史 別巻 目で見る桑折町の歴史』 桑折町史編纂委員会/編 桑折町史出版委員会 1985
※国立国会図書館デジタルコレクション送信参加館公開資料(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9643621)
『桑折町誌』 桑折町教育委員会/編 桑折町 1969
※国立国会図書館デジタルコレクション送信参加館公開資料(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9536201)
『福島県史料集成 第1輯』 福島県史料集成編纂委員会/編 福島県史料集成刊行会 1952
※国立国会図書館デジタルコレクション送信参加館公開資料(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2998471)
「白河故事考」 pp.712-713「忠弘」
『土芥寇讎記』 金井円/校注 人物往来社 1967
※国立国会図書館デジタルコレクション送信参加館公開資料(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2990558)
『時代を語り、次代を創る「時代の紡ぎ人物語」』 桑折町町制施行50周年記念誌 桑折町 2005 ※貸出不可
以上です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
植村美洋 著『白河藩』現代書館
『新編 物語藩史 第2巻 東北・北関東の諸藩』新人物往来社
『藩史大事典 第1巻 北海道・東北編』
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
-
(2023/12/2:情報提供による追記)
質問1について、回答後新たに発行された以下の資料にも記載がありました。
『白河藩の家臣団 白河藩分限帳集』(白河市歴史民俗資料館調査報告書 第6集) 白河市歴史民俗資料館/編集 白河市歴史民俗資料館 2023.3
「Ⅱ 松平(奥平)家の家臣団」に以下の分限帳の翻刻が掲載されています。
「2 白川分限帳其外色々覚書」(行田市郷土博物館蔵)(pp.18-23)
「3 白川御知行附」(行田市郷土博物館蔵)(pp.24-40)
解説(pp.102-106)にはそれぞれの年代について以下の通り書かれています。
p.103「2 白川分限帳其外色々覚書」は「松平(奥平)家が白河藩に転封となった延宝九年(天和元年、一六八一)から貞享三年の間の家臣団と推測される。」
pp.103-104「3 白川御知行附」は「貞享三年(一六八六)以降、同家が転封した元禄五年(一六九二)の間の家臣団を反映したものと考えられる。」
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000308959