レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年07月04日
- 登録日時
- 2016/12/22 18:23
- 更新日時
- 2023/12/24 14:26
- 管理番号
- 534
- 質問
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解決
「松島や ああ松島や 松島や」は松尾芭蕉の俳句か
- 回答
-
松尾芭蕉ではなく、相模(神奈川県)の田原坊の作と思われる。
『松島(嶋)図誌』(桜田周甫 文政三年)に田原坊の「松島や さて松島や 松島や」という吟が収められていたが、
風景のあまりの美しさに句を詠めなかったという松尾芭蕉の話も同時に掲載されたため、当句の詠み人=松尾芭蕉と混同して今に伝えられているのかもしれない。
なお、芭蕉は松島で「島々や千々にくだきて夏の海」という句を詠んでいる。
- 回答プロセス
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・『芭蕉全発句』(山本健吉/〔著〕、講談社)
『芭蕉秀句』(山口誓子/著、春秋社)
索引から調べるがいずれも該当句はなし。
・『ら・ら・ら「奥の細道」』(黛まどか/著、光文社)p.42
「松島や~が芭蕉の句だと信じている人が意外と多いのだけれど、芭蕉の名誉のためにもこれは断じて彼の句ではありません!と念を押しておきますね」
・『おくのほそ道-解釈と研究-』(井上豊/著、古川書房)p.177
「芭蕉の作と伝えられる『松島や』の句については、木村架空の『新釈』(『新釈奥の細道』明治29年)に『俗書に伝へる松島や~の句は、桜田周甫の松島図誌に、相模の人、田原坊の吟として載せてあり、ああはさてとなって居る。『さての方大いに好し』とある」
・『芭蕉はどんな旅をしたのか』(金森敦子/著、晶文社)p.203
「芭蕉がこのような句を吟じた事実はなく、1821年(文政四年)に出された『松島図誌』には相模の田原坊の吟とあり、「ああ」は「さて」となっているという」
・『奥の細道行脚』(櫻井武次郎/著、岩波書店)p.73~
「ところで、芭蕉が松島で句を作れず、 ああ松島や松島やとつぶやいたという話がある。先に掲げたように松島で芭蕉は作句している(島々や千々にくだきて夏の海)のだが、『奥の細道』には記さないので、このような話が生まれたのだろうか。復本一郎氏の教示によれば、『松嶋図誌』(文政三年)という本に、松嶋や~さてまつしまや~(相模州田原坊)の句を収め、その後に来た芭蕉が、風景のあまりの美しさに句を読めなかったという話を載せる。直接かどうかは分からないが、この記事を混同して「ああ松島や」の話が生まれたのかもしれない」
2023.11.22追記
国立国会図書館デジタルコレクション収録の『松嶋図誌 再販』(桜田周輔/著、東沢/画 裳華房)37コマより、相模の田原坊の吟の左側に松尾芭蕉の話が掲載されていることが分かる。
(https://dl.ndl.go.jp/pid/991518/ )2023.11.22確認
- 事前調査事項
- NDC
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- 詩歌 (911 10版)
- 参考資料
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- 奥の細道行脚
- おくのほそ道-解釈と研究-
- 芭蕉はどんな旅をしたのか
- キーワード
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- 松尾芭蕉
- 松島
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000204432