『旧制高等学校全書 第5巻 設置・運営編』を中心に調べたところ、高等中学校時代を含め、以下のような変遷をたどっている。
(1)第一高等学校(東京/1886(明治19)年11月30日文部省告示第3号)
・高等中学校時代(1886~1894/明治19~27)…東京市神田一ツ橋外から1889(明治22)年、本郷東片町へ移転。1932(昭和7)年発行の『高等学校 進路と展望 』p.91及び『日本寮歌集』p.13では本郷向ヶ丘弥生町となっている。
・高等学校時代(1894~/明治27~)…1935(昭和10)年、東京市目黒区駒場町へ移転。
(2)第二高等学校(仙台/1886(明治19)年12月9日文部省告示)
・高等中学校時代(1887~1894/明治20~27)…仙台区片平丁八五番地元陸軍省用地(その後、仙台市片平丁七六番地となる)。
・高等学校時代(1894~/明治27~)…1925(大正14)年、仙台市北六番丁へ移転。『日本寮歌集』p.23では、1945(昭和20)年に戦災焼失のため仙台市富沢(通称三神峰)へ移転とある。
(3)第三高等学校(大阪→京都/1886(明治19)年11月30日文部省告示第3号)
・高等中学校時代(1886~1894/明治19~27)…大阪府東区大手前之町から1889(明治22)年、京都市上京区吉田町神楽岡へ移転。
・高等学校時代(1894~/明治27~)…京都市左京区吉田二本松町神楽山西麓に表示変更。
(4)第四高等学校(金沢/1886(明治19)年11月30日文部省告示第3号)
・高等中学校時代(明治20~27)…金沢広坂通・仙石町及西町一番丁。
・高等学校時代(1894~/明治27~)…金沢市仙石町三七番地に表示変更。
(5)第五高等学校(熊本/1887(明治20)年4月15日文部省告示第2号)
・高等中学校時代(1887~1894/明治20~27)…熊本県飽田郡黒髪村。
・高等学校時代(1894~/明治27~)…熊本市黒髪町に表示変更。
(6)第六高等学校(岡山/1900(明治33)年3月30日勅令第84号)
・1900(明治33)年~…岡山市大字門田字山手屋敷。後、岡山市国富に表示変更。なお、1900(明治33)年4月19日文部省告示第121号では「上道郡三櫂村字山屋敷」、1912(明治45/大正元)年発行の『全国高等学校評判記』p.223では「岡山市大字門田字山手屋敷及び、同市大字田中にまたがつた土地」、1932(昭和7)年発行の『高等学校 進路と展望 』p.141では「岡山市中区国富田中」とある。
(7)第七高等学校(鹿児島/1901(明治34)年4月1日勅令第24号)
・鹿児島高等中学造士館(1887~1896/明治20~29)…鹿児島市山下町(1896(明治29)年、文部省の管理を解く)。
・第七高等学校造士館(1901~1946/明治34~昭和21)…鹿児島市山下町一一七番地。
・第七高等学校(1946~/昭和21~)
(8)第八高等学校(名古屋/1908(明治41)年3月31日勅令第68号)
・1908(明治41)年~…愛知県愛知郡呼続町。後、名古屋市瑞穂区瑞穂町に表示変更。『日本寮歌集』p.144では「開校当時は名古屋市東区外堀町の愛知県立一中の旧校舎を借用したが、明治四二年九月名古屋市外呼続町大字瑞穂(大正一一年名古屋市南区瑞穂町と発展改称)」とある。
なお、『日本の大学の系譜』p.245,256、『近代日本教育関係法令体系』p.480-481によると、第一~五高等中学校には1888(明治21)年度から1901(明治34)年4月まで医学部が存在していた。
医学部は中学校令(1886(明治19)年4月10日勅令第15号)第3条で設置が規程された複数の専門学科のひとつであり、本科と異なる場所に設置された学校もあった。1887(明治20)年8月19日文部省告示第6号によると、第二は本科と同じく仙台、第三は岡山、第四は本科と同じく金沢に、1887(明治20)年8月27日文部省告示第7号によると第五は長崎に、1887(明治20)年9月27日文部省告示第8号によると第一は千葉に設置された。これら医学部は、1901(明治34)年4月1日文部省令第8号により、医学専門学校として分離独立した。