レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/7/31
- 登録日時
- 2015/11/19 00:30
- 更新日時
- 2015/11/19 00:30
- 管理番号
- K150719115343
- 質問
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解決
日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・第二次世界大戦の愛媛県の出兵者(動員)数を知りたい。
- 回答
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当館では、合理的な検索手段のない調査や、網羅的な調査には応じておりません。そのため、ご照会の件について、それぞれの時期に分けて参考となる資料を紹介します。【】内は当館請求記号です。
<日清戦争>
・陸軍省編『日清戦争統計集 上巻1』海路書院、2005.4【GB441-H56】
陸軍省の編集した統計です(紹介しているのは復刻版です)。「動員及復員経過日時数」に各部隊の編成地が、「動員人馬員数」に各部隊の将官から兵卒等までの人数が記載されています。編成地が愛媛県内(「松山」等)である部隊を抽出し、該当部隊の人数を合計することで計算が可能です。
・愛媛県文書課編『愛媛県統計書. 明治13,17,27,28,34-44年度』向陽社、明14-45【14.4-64】
愛媛県の編集した統計です。日清戦争当時である明治27~28年の分も所蔵しており、「軍事」の項(96ページ以降)に「徴兵人員」および「在役軍人ノ数」があります。予備役・後備役の項もあり、全員が戦地に出征したとは限りませんが、当時の愛媛県の兵員数を確認できます。国立国会図書館デジタルコレクションで公開しており、インターネット上で閲覧が可能です。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807701/56
<日露戦争>
・陸軍省編纂『日露戦争統計集 1』東洋書林、1994.9【GB441-E68】
陸軍省の編集した統計です(紹介しているのは復刻版です)。「動員及編成一覧」に各部隊の編成地が、「動員及編成部隊人馬一覧」に各部隊の将官から兵卒等までの人数が記載されています。編成地が愛媛県内(「松山」等)である部隊を抽出し、該当部隊の人数を合計することで計算が可能です。
・愛媛県文書課編『愛媛県統計書. 明治13,17,27,28,34-44年度』向陽社、明14-45【14.4-64】
愛媛県の編集した統計です。日露戦争当時である明治37年・38年の分も所蔵しており、「兵事之部」の項(37年61ページ以降・38年60ページ以降)に「兵員」があります。予備・後備の項もあり、全員が戦地に出征したとは限りませんが、当時の愛媛県の兵員数を確認できます。国立国会図書館デジタルコレクションで公開しており、インターネット上で閲覧が可能です。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807704/51
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807705/44
<第一次世界大戦>
・斎藤聖二監修『秘大正三年日独戦史 別巻3』ゆまに書房、2001.3【YH231-H5050】
陸軍省の編集した戦史の附表類です(紹介しているのはCD-ROMに収められた復刻版です)。「大正三年戦役編成部隊ノ編制、動員(編成)及復員完結日一覧表」に各部隊の人数が記載されています。
ただし、日本とドイツの東アジアでの戦闘は比較的短期に終結し(『日本大百科全書』【UR1-G71】の「第一次世界大戦」より)、参加部隊も少数となっています。上述の表中、「独立第十八師団」の中核をなす「第十八師団」の編成地を『陸軍師団総覧』【AZ-663-G41】で確認しても、編成地・補充担任とも「久留米」となっています。また、表中に松山を編成地とする「歩兵第二十二連隊」の名前は見つかりません。
・愛媛県編『愛媛県統計書. 明治45・大正元-13年』愛媛県、大正2-14【14.4-64】
愛媛県の編集した統計です。第一次世界大戦直前である大正2年等の分も所蔵しており、「兵事」の項(第1編46ページ以降)に「兵員」「徴兵人員」および「海軍志願兵」があります。予備・後備の項もあること、および上掲の理由から、全員が戦地に出征したとは限りませんが、当時の愛媛県の兵員数を確認できます。国立国会図書館デジタルコレクションで公開しており、インターネット上で閲覧が可能です。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974094/48
大正3年以降も所蔵しており、閲覧も可能ですが、「兵事」の項に「兵員」「徴兵人員」の情報が掲載されなくなっています(「海軍志願兵」のみは確認できます)。「人口」「官公吏」の項も確認しましたが見つかりません。
・歩兵第二十二聯隊編『歩兵第二十二聯隊歴史』松山歩兵第二十二聯隊、昭和7【631-22】
松山で創設された(第二章「聯隊の創設及沿革」より)歩兵第二十二連隊の編集した連隊史です。「聯隊歴史年譜」中、大正三年の部分に「大正三年戦役碇泊場司令部要員派遣」とあり、上掲『秘大正三年日独戦史 別巻3』の表には「碇泊場(甲)司令部」「碇泊場(乙)司令部」の名が見られます。年譜にあるのみで、本文中には関係する記述は見つかりませんが、参考までに紹介します。国立国会図書館デジタルコレクションで公開しており、インターネット上で閲覧が可能です。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452605/56
<第二次世界大戦>
・『十五年戦争極秘資料集 9巻(支那事変大東亜戦争間動員概史)』不二出版、1988.7【GB511-216】
「参謀本部の編成動員課動員班に所属した参謀の一人」が作成した資料です(「解説」より。紹介しているのは復刻版です)。「連隊区別徴集人員表」(260ページ)および「連隊別召集人員表」(263ページ)があり、昭和12年以降の県別の徴集・召集人数が記載されています。
※「徴集」と「召集」の相違については、「徴集人員中ニハ現役兵第一補充兵第二補充兵ノ三者アルモ徴集後必ズ部隊ニ入レタルハ現役兵ノミナルヲ以テ以下各表ハ現役兵ノミ掲ゲ補充兵ハ召集ノ部ニ含マレアリ」(258ページ)とあります。
<ほか調査済み資料>
・大浜徹也、小沢郁郎編『帝国陸海軍事典 改訂版』同成社、1995.8【A112-G21】
原剛、安岡昭男編『日本陸海軍事典 下 コンパクト版』新人物往来社、2003.9【A112-H80】
日本統計協会編『日本長期統計総覧5』日本統計協会、1988.5【DT31-E1】
いずれも陸海軍の兵員数等を通覧できますが、県別とはなっていません。
・防衛庁防衛研修所戦史部著『陸軍軍戦備』朝雲新聞社、1979.7【AZ-663-23】
防衛庁の編集した戦史叢書の一冊で、陸軍草創期からの軍戦備の推移をまとめています。各戦争時の情報もありますが、部隊数・兵員数などであり、各県ごとに注目した図表等は見つかりません。
・『戦後経済調査資料』日本経済評論社、1998.4【DC51-G38】
「戦時国民動員史 第2編 兵力動員」には兵員総数・前職別などがありますが、県別は見つかりません。
・陸軍省編『陸軍省統計年報』陸軍省【14.4-85】
大正3年のものを確認しましたが、「軍隊人員」は下士官・兵卒・憲兵隊を除くとあり、動員兵数を確認することはできませんでした。
・陸上自衛隊第13師団司令部四国師団史編さん委員会編『四国師団史』第13師団司令部、1972【GB611-30】
・河合勤『愛媛の郷土部隊』愛媛文化双書刊行会、1988.4【GB611-E22】
・客野澄博『二十二聯隊始末記』愛媛新聞社、1972.5【GB611-G21】
いずれも部隊の行動等が記されていますが、兵数の統計などは見つかりませんでした。
・
愛媛県歴史文化博物館編『愛媛と戦争』愛媛県歴史文化博物館、2008.7【GC252-J2】
歩兵第二十二連隊をはじめ愛媛県の郷土部隊の行動年表等がありますが、兵数の統計などは見つかりませんでした。また、年表中大正3年の部分には、部隊の行動は何も記載されていません。
・島津豊幸編著『愛媛県の百年』山川出版社、1988.4【GC252-E3】
・内田九州男、寺内浩、川岡勉、矢野達雄著『愛媛県の歴史 第2版』山川出版社、2010.2【GC252-J14】
貴館調査済の『愛媛県史』のような愛媛県の通史ですが、出征部隊や民間の被害等それぞれの戦争の記述はありますが、兵力数の統計などは見つかりませんでした。
なお、調査済みとは各資料の目次および、目次から関係があると判断できる部分の本文を確認したものです。全資料の全文を精読することは調査研究の代行となり、当館のレファレンスの範囲を超えますのでご了承ください。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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新今治市誌・今治市誌・朝倉村誌・愛媛県史(近代上下)・愛媛県誌稿(上下)・引揚援護の記録
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- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000184049