レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/5/9
- 登録日時
- 2014/06/21 00:30
- 更新日時
- 2024/12/11 00:35
- 管理番号
- M14052114469021
- 質問
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三大築城名手とは誰のことか。「加藤清正」、「藤堂高虎」のほかに「黒田官兵衛」が含まれるのか知りたい。
- 回答
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『江戸全170城最期の運命』の中に、「黒田官兵衛、藤堂高虎、加藤清正を城作りの三名人と呼ぶ」、「「三大巨匠」官兵衛、清正、高虎が生んだ名城」という記述を見つけることはできたが、その他の本で、三大築城名手についての定説を確認することはできなかった。
『ニッポンの城』には、日本三名城の築城に関わった「加藤清正」、17の城を手掛けた築城の名手「藤堂高虎」の二人が、築城の名手として紹介されており、黒田官兵衛の記載は見当たらない。
また、『知識ゼロからの日本の城入門』には、「二大築城名人」として「加藤清正」と「藤堂高虎」の名前が主に挙げられており、黒田官兵衛の名前は、そのほかの築城名手たちとして、列挙されているにとどまる。
以上をまとめると、三大築城名手について、はっきりと定まった定説はないようだが、以下の調査より、黒田官兵衛が三大築城名手の一人として有力候補であると言える。
【黒田官兵衛に関するその他の記載について】
『福岡城天守を復元する』の中で、「秀吉を天下人にした黒田長政の父如水(官兵衛)は、藤堂高虎、加藤清正とともに築城の名手と称された。」と記載がある。
また、『歴史読本 徹底検証黒田官兵衛』の「知る人ぞ知る築城の名手“官兵衛の城”を考える」の中に、「築城の名手といえば、加藤清正、藤堂高虎、そして戦国時代ならば武田信玄の家臣・馬場美濃守信房の三人がすぐ思い浮かぶ。黒田官兵衛といえば軍師というイメージが強く、築城の名手というイメージはないのではないだろうか。しかし、官兵衛は生涯にわたって数多くの築城を手掛けているのである。」とも紹介されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本の建築 (521 9版)
- 参考資料
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八幡和郎『江戸全170城最期の運命』 イーストプレス,2014,295p. 参照はp.62.
西ヶ谷恭弘『ニッポンの城』 枻出版社,2010,120p. 参照はp.22-25.p.54-57.
小和田哲男『知識ゼロからの日本の城入門』 幻冬舎,2009,190p. 参照はp.176.
佐藤政彦『福岡城天守を復元する』 石風社,2011,247p. 参照はp.21.
中井均「知る人ぞ知る築城の名手“官兵衛の城”を考える」『歴史読本』58,2013年4月,p.166.
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八幡和郎『江戸全170城最期の運命』 イーストプレス,2014,295p. 参照はp.62.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2014052114472569021
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢, 高校生, 中学生
- 登録番号
- 1000154898