レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20130426
- 登録日時
- 2013/04/26 13:00
- 更新日時
- 2013/07/17 11:00
- 管理番号
- 広県図20130001
- 質問
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解決
フラワーフェスティバルが始まった理由が知りたい。
- 回答
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「ひろしまフラワーフェスティバル」は,毎年5月3日から5日までの3日間,広島市の平和公園と平和大通り一帯で開催される祭りで,昭和52年に始まっている。
当時の新聞を見ると,昭和51年9月15日付け『中国新聞』1面に,「市民が主役 新しい祭り 『ひろしまフラワーフェスティバル』 来年5月に第1回」という見出しで,祭りの誕生を知らせる記事がある。祭りのテーマ「緑と花と音楽のあふれる都市へ」も,一緒に紹介されている。この記事には,前年(昭和50年)に広島東洋カープがリーグ初優勝し,その賑わいを経験したことで,多方面から「市民が気軽に参加できるような祭りが欲しい」という声が出されていたことが紹介されている。
また,『広島新史 都市文化編』(広島市 1983)によると,広島市が近隣町村との合併を進めていた時期でもあり,「全市民的連帯感の創造は行政サイドにとって焦眉の急務であった」と書かれている。
さらに祭りの実行委員会の事務局が置かれている中国新聞社の社史を見ると,『中国新聞最近十年史』(中国新聞社 1982)に,広島東洋カープの優勝よりも前の昭和40年代の後半から,社内で「”花と音楽”をテーマにした市民の平和の祭典」の試案を暖めていたことが書かれている。発案は,中国新聞社の社員(のちに総合企画室計画担当部長)であった山本一朗氏で,「平和の尊さと喜びを市民が分かち合い,地域社会に定着」した祭りをつくりたいと考えていた。しかし,山本氏が急逝し,残されたノートを基に祭りの企画書がつくられたこと,「フラワーフェスティバル」という名称もノートに書き留められたものであったことが『信頼』(中国新聞社 2012)に記されている。
- 回答プロセス
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第1回のフラワーフェスティバルの記録を見るが,祭りがなぜ始まったかは書かれていない。
広島市の大きな祭りなので,『広島新史』を調べる。「都市文化編」に詳しい記述がある。
祭りの実行委員会の事務局がある中国新聞社の社史も調査する。同社総合企画室計画担当部長で急逝した山本一朗氏がフラワーフェスティバルの誕生に大きく寄与したことがわかる。
山本一朗氏の父親である山本朗氏の著書を見ると,フラワーフェスティバルの発案から実現までのことが書かれている。フラワーフェスティバルの誕生を昭和51年9月14日に記者発表したとあるので,翌日昭和51年9月15日の新聞を確認した。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『フラワーフェスティバル:広島と世界を結ぶ花まつり 1977』ひろしまフラワーフェスティバル実行委員会事務局,1977
- 『広島新史 都市文化編』広島市/編集発行,1983(p.259-271 フラワーフェスティバル(Flower Festival))
- 『中国新聞最近十年史:創刊九十周年 1982』中国新聞九十年史刊行委員会/編集,中国新聞社,1982(p.195-196 フラワーフェスティバルを創造)
- 『信頼』山本朗/著,中国新聞社,2012(p.143-148 フラワーフェスティバル)
- キーワード
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- ひろしまフラワーフェスティバル
- 中国新聞社
- 山本一朗
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000130797